清少納言

夜をこめてとりのそらねははかるとも
   よに逢坂の関はゆるさじ


決まり字:ヨオ(二字決まリ)
 作者の清少納言。紹介するまでもない。枕草子の作者としてあまりに有名である。 清原元輔の娘で、一条天皇の中宮定子に仕えた。
 百人一首の女流の作者の中では、小野小町を別格とすると、 紫式部和泉式部と並ぶ ビッグネームである。しかし、それは、現代の我々が枕草子の作者としての彼女を認識 しているがゆえであり、定家の撰歌意識の中での評価はわからない。
 紫式部がその紫式部日記の中で、「漢籍の知識をひけらかす嫌な女」というニュアンス で批評しているが、和歌をもって有名な清原家の娘でありながら、和歌の評価よりは、 漢籍の知識のほうで当時有名だったと思われる。紫式部自身も、清少納言を批判すること で、自分自身の漢籍の知識を自慢しているような匂いも感じるのだが…。
 この歌の背景も、枕草子に書かれている。藤原行成のちょっかいに当意即妙に漢籍の 知識を利用してやり返したというところである。
 孟嘗君の函谷関の故事をふまえている歌である。

 百人一首の解説書をみると、大体は、一首に割くページ数は皆同じになっている。一首 1ページもしくは、一首でページ見開きというパターンが多い。
 一見、公平なようだが、実は、これでは、食い足りないのである。歌の説明であれば、 これでよいだろうが、作者のエピソードや歌の背景などは、相当に差があると思う。
 やはり、エピソードの多いケースには、紙幅を余分に割いてほしいのである。
 もちろん、一首の解説ボリュームが均一でない百人一首の本もある。そういう本では、 清少納言には、もちろん多くのページが費やされている。
 そうしたことからも清少納言は、ビッグネームなのである。ただし、最初に言ったように いくらビッグネームでも、その伝説と存在感においては、別格の小野小町には遠く及ばない だろう。しかし、道長の権勢に繋がる中宮彰子に仕えた紫式部や和泉式部に比べると、清 少納言の使えた定子の実家である中の関白家は衰えていく。すなわち、ビッグネームの中 でも敗者の立場に与するのが清少納言なのである。
 百人一首は、敗者の側にスポットがあたっている私撰集である。それを考えると、定家 が、清少納言の歌を選んだ意図も、そこはかとなく漂ってくるのではないだろうか。

☆ 同じ作者の「百人秀歌」の解説へ ☆

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2008年4月6日  HITOSHI TAKANO