"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

自分史上最強論

〜"Next One!"への憧憬〜

Hitoshi Takano Jan/2014


 「あなたの最高傑作は?」と問われ、「ネクスト・ワン(次回作)!」と答えた という名優の逸話がある。年齢を重ねるとこの言葉の秀逸さをしみじみと感じる。

 私も何かの時に、この言葉を言ってみたいと思っている。

 ただ、この言葉にも難点がある、その分野からいわゆるリタイア(引退)をして しまうとこの台詞は使えないのである。
 スポーツ競技などを引退してしまうと、自分の「最高(最強)試合」をきかれれ ば、過去からこれを見つけざるをえない。

 その点、生涯現役であれば過去はどうあれ、自分の最高(最強)の試合は、 「ネクスト・ワン!」と答えられるのである。

 競技かるたは、生涯現役で続けられる競技である。自分で「引退」と表明すれば 引退だが、とりたてて引退のルールはない。社団法人全日本かるた協会への会員 登録制度はあるが、登録をしなかったからといってそれは引退ではない。引退する つもりで登録をしないという人も中にはいるだろうが、いつでも再登録できるの だから、登録の有無は別問題である。

 当然、私も「自分史上最高試合」・「自分史上最強試合」は「ネクスト・ワン」 のつもりで、競技に向き合っている。しかし、自分の年齢の3分の1ほどの相手と 試合すると、彼ら/彼女らのこれからの競技可能年数を考えるにつけ、自分自身 がこれから取っていく一試合・一試合の大切さを思わずにはいられない。その試合 は「一期一会」であり、自分史上最高試合でありたいからだ。
 いままで「最高(最強)」と表記したり、二つを併記してきたが、ここにきて 「最高」とだけ書いたのにはわけがある。
 実は、私の意識では、「最高」と「最強」は異なるからだ。「最高」は勝敗は 関係ないものとして認識している。たとえ、負けたとしても「最高」の試合だった ということはいえる。しかし、「最強」と言った場合、私の意識の中では、この 言葉の場合、「勝利」という結果を伴わない「最強」はありえないのである。  相手がべらぼうに強い相手であり、そこに最小枚数差まで迫ったが負けた。負け はしたが、他の勝った試合と比べて、よりよいパフォーマンスを発揮し、この時 の力をだせば、今までの勝った試合を凌駕する強さだったと思えたとしても、負けた ことで「最強」ではないのである。私にとっては「強さ」は「勝ち」であり、 敗戦の中に「強さ」は見出せないのである。
 「敗因は?」ときかれれば、「弱いから」なのである。(もちろん、試合経過の 中の様々な負けにつながる場面やアヤなどは分析するが…)
 本当は次の試合を自分史上最強試合として取りたいが、それを目指しても「勝ち」 と「負け」のどちらかしか存在しないこの競技の世界に35年も身を置いていれば 能天気なことは言ってられないので、「自分史上最高試合でありたい」と書いた のである。

 さて、瞬間風速としての「自分史上最強試合」はこれから実現するとして、客観的 データから「自分史上最強時代」はいつだったかを考えてみたい。「時代」というが ざっくり1年くらいのスパンで考えてみる。これも「これからの1年」と言っては みたいが、やはり、それはあつかましいような気がする。客観的データでみても 右肩下がりの現状から目をそむけることはできないし、何よりも加齢とともに 感じる体力の衰えの実感を無視するわけにはいかない。

 「心技体」とは、競技においてよく語られる要素である。一般的にフィジカルな 面に記録が作用される競技においては、加齢とともに「体」の要素が弱まって いく。それを補うのが「技」であり、「心」である。要は、この3要素のバランス だと思う。「技」は経験や熟練度によってプラスになるが、「体」と連動している 「技」もあるので、加齢とともに「技」が衰えるという部分もある。
 「心」は経験により、加齢とともにプラスになる傾向の強い要素であるが、 「技」の衰えや「体」の衰えにより、それを気にすることでマイナス傾向に 働いてしまうこともある。また、若いときはいわゆる「こわいものしらず」で 「心」に迷いがなかったが、年齢とともに競技の中で「こわいもの」を知って しまい、それをコントロールする術を身につけていなければ、これまた、マイナス 面が出ることもある。

 自分自身の競技かるたの経験からいえば、「体」は加齢で明らかにマイナス。 「技」はいわゆるテクニック面ではプラスだが、「体」と連動する技能はマイナス ということで、全体的には、トントンからややプラスの間くらいだろう。「心」に ついては、若いときよりもコントロールがきくようになったということで加齢に よりプラス。トータルでは、トントンと言いたいところだが、一日に数試合という 状況を考えると「体」の部分が大きく影響し、マイナスと言わざるをえない。 また、練習を何試合も続ける体力が落ちてきていることも、トータル面での マイナスを否めない要因になっている。

 上記をふまえて、自分最強史上時代(1年程度)はいつかと問われれば「これから」 とは、−気持ちはそうであったとしても−正直答えがたい。
 データでみれば、対A級戦の切り口とランキングを判断材料とすると、1984年度(1984年4月〜1985年3月)の57試合での27勝30敗(勝率.473)というデータが自分史上最強年度の証左になるだろう。年度単位でみて、過去最高の対A級勝率である。対A級勝率が執筆時点で2割6分8厘であることを考えれば、自分的にはそういっていい勝率をあげた年度である。なお、この年度にA級個人戦での最高成績3位をあげて、全日本かるた協会の昭和60年度のランキングで42位に入っている。(この当時のランキング年度は、いわゆる4月-3月年度ではないのでズレが生じている)
 年齢的には二十代の半ばである。おそらく、「心技体」の「体」がもっともフィジカルに充実するのは、一般的に言っても、このころを含む前後数年なのではないだろうか。

 永世名人の4人にしても、この年代での在位が含まれており、14連覇の西郷、10連覇の正木、8連覇の種村(通算9期)にしてもこの20代での連覇がその偉業におおいに貢献している。通算9期の松川も20代で3連覇を含む4期戴冠している。
 もちろん、「体」の充実に加え、「体」を利した「技」がさえ、熟練を利した「技」もさえ、気力・精神面が名人位獲得体験・防衛体験などの経験により充実するという「心」に支えられての偉業であることは間違いないだろう。

 もちろん、20代を過ぎてから競技を始める人もいるので、自分史上最強時代は、人によって異なることは言うまでもない。
 要は、「心技体」のバランスと、充実度なのだと思う。

 そう考えると、「体」は衰えたとしても、私も、まだまだ、自分史上最強を目指せるわけだ。それには、「体」を鍛え直し、「技」を磨き、「心」を成長させることが大切である。
 「自分史上最強の試合は?」と訊かれたら、躊躇なくこう答えられるようになりたいと思う。

Next One!


参照:[TOPIC]年齢との戦い

次の話題へ        前の話題へ

"競技かるた"に関する私的「かるた」論のINDEXへ
感想を書く
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先