"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

札分け論

〜効率化の一側面〜

Hitoshi Takano May/2014

 札分けについて取り上げたことは、TOPICの中で2004年3月に「裏札」というタイトルの文章くらいであろうか。その時には、試合(職域・学生大会)での札分けで、1回戦の裏札が3回戦に、2回戦の裏札が4回戦に使われるということで記述した。

 団体戦は、札が揃っていてこその団体戦で、終盤の札の送りの駆け引きなどは、札が揃っていてこその妙味であると思う。
 こうした団体戦を意識する意味での「練習」における札分けは、非常に意味があると思う。特に、団体戦の前にチームを設定して練習する場合など、本番での様々な事態を出場選手に理解させる上で、重要な準備となる。
 昨今では、こうした団体戦練習とは別の意味で、練習時の札分けが日常茶飯となってきている。限られた時間を有効に使おうというので、練習時に札分けを行なうことが多くなってきたのだ。借りている練習会場には終わりの時間があるから、その間、札が揃っていれば、進行がはやい。特に、部員数が増え、練習の組数も増えてくると、札分けをしておかないと、読まれる度にどこかで札の整理をしている組があって、時間がかかってしまう。
 また、自動読み上げ機の「ありあけ」の普及を考えても、練習時の札分けはありがたい。一組だけならいいのだが、複数組になると「ありあけ」を操作する取り手は、自分の試合以外にも他の試合の様子を見ながら操作もしなければならない。これが、札分けしていない状態だと、操作に注意が向き、自分の試合自体への注意が散漫になってしまう。この弊害を少しでも緩和するのが、対戦各組の札を揃えておく札分けなのである。
 上記でみたように、練習時の札分けは「効率の重視」なのである。

 さて、実は、練習に参加していて、札分けをしている下級生のある一言が気になった。

 「一の位、12469。あれっ?これ前にも言ったような気がする。」

 一の位、十の位を交互に使うなど、工夫はしているようだが、どうしても、数字を指定するとき、本人が思いつきやすい数字と言うものがあるのかもしれない。

 ここで、札分けの最近の事情を説明しておかねばなるまい。
 実は、以前は、札分けといえば、一組からアトランダムに50枚を取り、それを初音で並べなおして、それを手本にしながら、他の札の札分けを行なうことをしていた。
 以前、関東で公定札として使われていた精文館の札には番号など印字されていないから、数字による札分けをしようとしたら、札のというか、百人一首の歌の1番「秋の田の」、2番「春過ぎて」、3番「あしびきの」……、99番「人も惜し」、100番「ももしきや」といった順番を暗記していなければならないからだ。さすがに決まり字を覚えていてもこれを暗記している人は極めて少ないだろう。田村将軍堂や任天堂などの札にも数字は書かれていない。
 しかし、精文館が札を作らなくなってからは、関東にも、大石天狗堂の公定札が入ってくるようになる。この大石天狗堂の札には、左下すみに□(四角)の枠の中に数字が書いてあり、これが、上記の歌の番号なのである。
 したがって、上記のように数字を指定すれば、歌番号を暗記していなくても、簡単に札分けができるので、これまた、効率化に寄与しているのである。
 実は、大石天狗堂のこの番号も、以前はことなっていた。以前は、歌の順番とは関係なく、おそらく製品である札の過不足チェック等の意味もあってつけていた番号がついていた。この番号には、□はついていなかった。ただ、札の左下すみに番号が印字されていたのである。番号順に並べると、販売するときに蓋をあけたら、一番上にくる札が、見栄えのいい「繧繝縁畳」の天智天皇(秋の田の)が1番で、同じく繧繝縁で姫札の持統天皇(春過ぎて)となるように、持統天皇は51番となっていた。ちなみに100番は藤原清輔朝臣(ながらえば)であった。
 消費者からの声に押されたのか、自社で見直ししたのかは知らないが、ある時期から、この番号が歌番号と同じに変わった。「春過ぎて」は2番となり、51番は「かくとだに」となった。「ながらえば」は84番におさまった。そして、以前の番号と区別する意味で、新しい番号の札には番号に□の枠がついた。
 このようなわけで、現在、公定札として練習に多く利用されているのは、この□付きの番号がふられた大石天狗堂の札である。この札の普及により、札分けにこの番号が利用されるのである。

 話を本題に戻そう。札分けの効率化とそれに伴う練習の効率化は理解していただけたと思う。しかし、札分けの数字に癖がでるとどういうことになるかを考えてみた。私など、面倒になると、すぐに、「一の位、偶数」とか、「十の位、奇数」と言ってしまうことが多い。
 こうした癖があると、練習時の使用札に、ある一定の傾向が出てしまうのではないかという懸念である。
 というのは、意図的にある音で始まる札を排除する札分けが実は可能であるからだ。

「1字」なし
★一の位 34569
★十の位 03469

「あ」なし
  一の位 なし
  十の位 289

「な」なし
  一の位 127
★十の位 04679

「お」なし
★一の位 13789
  十の位 135

「わ」なし
  一の位 3579
  十の位 468

「こ」なし
  一の位 2356
★十の位 03578

「た」なし
★一の位 01278
  十の位 2469

「み」なし
★一の位 123568
★十の位 035678

「はやよか」なし
  一の位 04
  十の位 17

「いちひき」なし
  一の位 468
  十の位 08

「うつしもゆ」なし
  一の位 289
  十の位 589

「大山札」なし
★一の位 23789
★十の位 02489

 見方を説明すると、表題の音もしくは決まり字が10枚の中に入っていない数字を紹介している。そして★印は、その数字を五文字札分けのときにいえば、その音なり、その決まり字のない50枚のセットの札分けが完了すると言うことである。逆に、その裏札の番号をいえば、全てが揃っているということである。

 いちいち、こんなことを憶えて、札分けを恣意的にしようという人はいないかもしれないが、こういう法則が見つかるのであるから、「効率化」のみを追求せず、札分けは数字によらない方式でやったり、組数の少ないときには、札分けせずに練習するとか、柔軟に考えてはどうだろうか?

 とは、いうものの、この数字による札分けが練習の効率化に寄与したという事実は、たいへん大きな意味のあることであり、特筆すべきことであろう。

追記(2017年6月)
 札分けをするときに、言いなれた番号をつい口走って決めてしまうことがないように、札分け用のカードを作成した。次の画像が、そのカードである。
 「一の位」「十の位」の札は、どちらを指定するかを決めるための札で、2枚を裏返して1枚を選ぶ。そして数字札10枚は、裏返して5枚選び、該当の5つの数字を確定するという仕組みである。これにより、数字選択の偏りは防げることになる。
 実際の運用では、その日の1回戦に最初に十の位でたとえば「13468」を選んだら、2回戦は一の位とし、「25790」を選ぶというような運用をしている。そうすると2回戦では、1回戦で使った札25枚と、1回戦で使わなかった札25枚が選択されるという形になる。そして3回戦で1回戦の裏札を使うと1回戦でも2回戦でも使われなかった25枚の札が使われるので、3回戦中、2回使われる札が50枚、1回しか使われない札が50枚ということになる。連続で使用される札は2回戦、3回戦それぞれ25枚ずつなので、練習という観点からみれば、わりとバランスがいいように思う。しかし、実際に箱から100枚を出して、裏返して競技者が25枚ずつを取るのであれば、このようなバランスにはならないので、3試合で1回も使われない札もあれば、3試合毎回使われる札も出てくる。このあたりを練習と効率化と割り切るかどうかが意見のわかれどころになるかと思う。
 もちろん運用としては、その日の練習3試合とすれば、毎試合、札分けカードで適宜決めてもかまわない。その際は、一の位選択が3回になる場合もあれば、同じ数字が3回でる可能性もある。それも、それぞれの練習会での考え方次第であろう。
 なにはともあれ、このカードを使って札分けの番号を選ぶ方法は、札番号選択者の恣意性を排除できるし、簡単に作成できるツールでもあるので、それなりによい方法ではないかと考える。


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