河原左大臣

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
   みだれそめにし我ならなくに


決まり字:ミチ(二字決まリ)
 嵯峨天皇の子で、源の姓を賜る。源融。河原院という屋敷の庭に陸奥の塩釜の風景を模し、 海から水を運ばせて塩を焼いた。光源氏のモデルの一人と言われる。
 宇治の平等院ももともとはいえば、この河原左大臣の別荘であった。享年は74。
 屋敷で塩釜を模して塩を焼かせたほど陸奥には興味をもっていたようである。この歌でも 下の句を導く序詞として、陸奥ネタを使っている。陸奥の信夫郡で産出される摺り衣の ように模様が乱れているということで、下の句の「乱れ」という語をを導いている。 草木を摺りつけて染色したような染め方だったので、色模様は乱れていたのだろう。 「そめ」は「染め」と「初め」の掛詞である。「あなた以外の女性のいったい誰に私が心乱れて いるとうのでしょうか。私が心を乱しているのはあなたせいですよ。」というのが、この歌の 意味である。

 定家の時代には、栄華を誇った 河原院は、さびれてしまっていた。それは、恵慶法師の「八重葎」の歌の舞台がこの河原院 であったことでも知れよう。そして、定家がこの歌を撰んだのは、その栄枯盛衰ゆえであった のだろう。

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2008年4月27日  HITOSHI TAKANO