TOPIC   "番外編"

通算3000対戦

Hitoshi Takano Mar/2011

 1979年4月13日に"競技かるた"というものを初めて取ってから、丸32年で3000対戦に達することができた。
 まったく競技かるたを取っていない年が2年あるので、実質30年で3000試合だから、実質年で平均すると年間100試合ということになる。少々、遅い達成であったかもしれないが、素直に喜びたい。
 実は、1000試合のキリ数対戦は、すべて負けている。8枚差、7枚差、今回は9枚差であった。それぞれの試合、私にとっては印象に残る対戦相手である。
 3000試合といっても、私一人で達成できるわけではなく、619人の対戦相手と、読手があって、初めて到達しうる記録である。
 この場を借りて、対戦相手のみなさん、読手のみなさんに厚く御礼を申し上げたい。

 1000試合ごとの内訳は下表のとおりである。

区分
開始日
達成日
勝利数
敗戦数
対A級戦
勝-敗
対A勝率
1〜1000
1979.4.13
1982.8.6
523勝
477敗
175試合
27勝148敗
.154
1001〜2000
1982.8.6
1988.1.22
639勝
361敗
362試合
119勝243敗
.329
2001〜3000
1988.1.22
2011.3.26
584勝
416敗
274試合
71勝203敗
.259

 最初の1000試合は、学生時代、大学4年の夏までには達成できた。A級にはなれたが、まだA級の個人戦で1勝もできなかったころまでである。無我夢中の約3年半といったところである。
 次の1000試合が、大学4年の後半からの5年半で、社会人としてスタートして、軌道にのって、仕事とかるたの両立をうまくはかれていたころである。この間にA級個人戦での入賞が3回と勝率を見ても、自分なりに競技者として脂がのって充実していたころではないかと思う。
 そして、2001試合めからの1000試合に20年以上かかったわけである。この間に、結婚という人生での大きなできごとや、仕事での転勤やらその他の様々なできごとが重なる。"競技かるた"との両立という面でいえば、"競技かるた"のほうを立てられなかった20年といわざるをえないだろう。
 1000試合に20年以上かけているのだから、年間平均50試合をきっているわけである。力を落とすなというほうが無理な練習量である。
 しかし、細々とではあるが続けてきたので、3000試合を刻めたのだと思う。
 3000試合はあくまで通過点である。
 引き続き、自身の人生とともに対戦数を積み重ねていきたいと願っている。


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