TOPIC   "番外編"

「末の松山」を波が越す

Hitoshi Takano APR/2011

 「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」

 言わずと知れた清原元輔の歌である。この歌の大意は、「末の松山を波を越すことがないように私と約束したあなたは心変わりしない」ということであり、ポイントは「心変わりをしない可能性は、末の松山を波を越すことがないのと同じくらいありえない」という「末の松山」という歌枕を読みこんだことである。(と思う)

 學燈社の「國文學〜平成19年12月臨時増刊号〜」の「百人一首のなぞ」所収の河野幸夫氏の「歌枕『末の松山』と海底考古学」においては、津波の記憶としての末の松山を波が越えたことのではないかということが指摘されている。

 末の松山に擬される場所はさまざまに語られるが、実際のところどこなのかはわかっていない。それでも、「末の松山」は奥州地方の太平洋岸の歌枕というイメージである。
 河野氏は、平安初期の東北地方の太平洋岸を襲った津波(貞観津波)の記憶と推測する。

 今回の東日本大震災での津波は、9世紀半ばの陸奥を襲った貞観地震=貞観津波の規模の津波であると言われている。三陸沖地震の津波は繰り返されているが、規模からいうと1000年に一度の規模である。
 そうだとすると、「末の松山」は1000年に一度は波に越されるのである。
 「末の松山」は波に越されることのない象徴としての歌枕ではない。それこそ、滅多にあるわけではないが波に越される可能性がわずかだがある存在としての歌枕なのである。
 そうすると、この歌に関わる二人の約束は、ひょっとすると心変わりがありうるのである。その不安を表現するには、「末の松山」は波が越すことのない盤石の存在ではなく、やはり1000年単位の周期で波が越す可能性のある存在としての歌枕なのである。
 「末の松山」を波を越すことがないのか、波に越されたことが過去にあったのかというい歌枕のなぞは、こうしてひとつ腑に落ちた。しかし、このことを感じさせたきっかけが、今回の不幸な出来事であったというのは、皮肉というしかない。

 あらためて、大震災の被災者の方々には、お見舞いを申し上げます。一日も早い復興をお祈りいたします。

次のTopicへ        前のTopicへ

トピックへ
トピック-“番外編”-へ
ページターミナルへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先