TOPIC "番外編"
高校選手権の思い出
Hitoshi Takano FEB/2016
高校選手権の団体戦は、東京の暁星高が昨夏に8連覇を果たし、静岡県立富士高が第1回大会から第10回大会まで達成した10連覇にあと2連覇とせまっている。
今回は、夏の大会の相当前に気が早いが、高校選手権の思い出をテーマにしてみた。気が早いとはいったが、新学期にはいり、新入部員が入部し、あっという間に地区予選が始まる。一校を除けば、昨年に敗退したときから各校では新チームによる翌年への戦いが始まっているのだ。1月・2月は個人戦の多い季節であり、ここで昇級者の多いチームは団体戦への勢いもつこうというものである。2月には静岡大会も行われるということで、静岡県勢同士で優勝を争っていた10連覇の記録を持つ富士高と同校の11連覇を阻止した静岡県立長泉高との名勝負といえるであろう「高校選手権決勝対決」について、すこしあいまいになっているかとは思うが、記憶をたどりながらふりかえってみたい。
静岡県立長泉高は、1985年に新設校として創立された高校であった。1年生しかいないこの高校に「かるた部」が創設されたのもこの年である。富士高を強豪高に育てた栗栖教諭が指導を開始した。私の記憶がたしかならば、8人くらいの部員で6人が女子部員だったように思う。のちに富士高OBの島教諭も長泉高に赴任し、指導することになる。
この長泉高が創立された年の夏、高校選手権では富士高が東京都代表の西高を決勝で破り、7連覇を達成した。西高は前年度も出場しているが、高校選手権の常連高とはいえなかったが、個人戦などの結果情報を入手していた富士高は、西高を警戒していた。A級選手である主将を勢いづかせると他の選手も調子に乗ってきて、個人戦の所属級以上の力を出されると危ないという危機感をもって練習にあたっていた。 結果として、その読みがあたった決勝となったことが驚きであったし、主将を勢いづかせなかった試合運びも予定通りだった。
富士高OBの友人も多く西高のOBである私は、両校の選手情報を持っていたので、客観的にみて、西高は選手層の厚さで勝る富士高に勝つのは難しいと思っていた。可能性があるとすれば「油断」だと思っていた。かるたの新興高を「なめ」てかかってくるようなことがあれば、そこにわずかばかりのチャンスがあるだろうと考えていたが、富士高の練習における西高への警戒に、これが6連覇を続けてきた高校の強さの一端をみた思いだった。
翌年、創部2年の長泉高は、静岡県予選を勝ち抜いて静岡代表となった。1年生と2年生しかおらず、4月から始めたばかりの1年生はある意味戦力外の中、富士高は前年度優勝校枠で出場できるために予選にでないとはいえ、層の厚い静岡県予選を勝ち抜いたのだ。
前年度のことをあえて書いたのは、富士高はここでも新興かるた部の長泉高を決して「なめ」ることなく、「油断」することもなく警戒していたということを書きたいがためである。2年生の選手にはA級選手もおり、個人としては個性が伸ばされている感じであったし、チームとしても全体的によく鍛えられていたが、何よりも警戒の対象となったのは、指導者の存在だろう。同門と言って差し支えないのだ。指導者は両校のことを熟知しているからだ。私も、指導者には懇意にさせていただいており、両校の情報は入手していた。私の予想は、富士高に団体戦上の一日の長がある点と選手層の厚みの点で長泉高が富士高に勝つのは難しいだろうというものだった。しかし、長泉高を率いるのは、歴戦の名将である。何を仕掛けてくるかわからない。名将の作戦がはまれば、その時は結果はわからないと考えていた。
決勝は、高校選手権史上初(当時)の同県対決となった。おそらく、伝統校の強みと言っていいのかもしれない。富士高が8連覇を遂げる。驚くべきは、どちらの高校もその強さの基盤をつくったのは同じ人物であるということである。片方は、伝統の中に教えが息づき、片方はまさに直接の指導で同じ土俵で対決したのであった。
1987年、長泉高は3学年すべて埋まる。創部メンバーは最上級生の3年生となり、個人戦、団体戦での経験を積んできた。3年生でA級選手は3人、2年生も戦力となり選手層も厚くなった。県予選も勝ち抜き、ふたたび、高校選手権の決勝で、富士高との対決となった。
決勝戦は、予選から数えると6試合目。8将まで登録できるので、選手交代は可能であるが、ポイントゲッターはフル活動である。いくら強い選手でも、疲労はたまっているはずである。富士高は、相手の疲労をついてでた。決勝まで3年生のA級選手を一試合も取らせずに温存していたのである。しかも、相手の並び順も予測して、見事に長泉の主将にあてたのだ。主将はチームの柱である。主将が勝っているのをみるとチームメイトも気持ちを強く持って自分の対戦相手に向かっていける。しかし、この日、6試合目となる選手と満を持してこの1試合にワンポイントで臨んでくる選手との間には、勢いに差があった。主将が差をつけられて押されている状況の長泉高に対して、対主将への作戦が傍目からもあたったと見える富士高。団体戦の勢い、流れを決定づけたのは、この試合だった。富士高は難敵を降して9連覇を達成する。
この決勝戦はじかに観戦していたが、富士高のワンポイント作戦は見事としかいいようがない。登録8人のほかにも、各高の対戦の並び順や結果をすべてメモしている部員が数名来ており、こうした情報もいかされたのだ思う。また、6試合目の登場まで待たされた選手も、朝から会場に来ている中、よく自分を律して最終戦に最高のパフォーマンスを発揮すべくコンディションを整えていたものと感心した。
しかし、捲土重来、長泉高は1年あけはしたが、第11回大会にて、三度富士高と決勝で対戦しついに連覇を阻止したのであった。この時は、指導は島教諭にバトンタッチされていた。
二度の決勝での敗戦の悔しさが、伝統の中に組み込まれて創部5年での栄冠につながったのかもしれない。
長泉高校は、その後3度優勝を遂げるが、2008年3月でその高校の歴史に幕を閉じる。(単位制の高校へ改編され静岡県立三島長陵高等学校となる)
一方、富士高はその後2度優勝を遂げる。現在の暁星8連覇の直前の優勝高が富士高である。
ちなみに昨年までの37回の高校選手権のうち24回が静岡県勢の優勝である。静岡県の強さの基盤を磐石にしたのが、第8回大会・第9回大会・第11回大会の富士高と長泉高の決勝対決にあるように思うのは、私だけだろうか?
暁星関係者には申し訳ないが、連覇はいずれ途切れるときがくるだろう。連覇を阻止するのは、自分たちだという気概を静岡県勢に特に期待している。
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