TOPIC "番外編"
「競技かるた」と人工知能
〜将棋ソフトと囲碁ソフトの進化をふまえて〜
Hitoshi Takano AUG/2016
このTOPIC番外編も50回目となった。本編が100回だったので、100回で一段落とすれば、半ばまで来たということになる。
一応、番外編の区切りも100回とし、そのあとは「TOPIC」というタイトルはやめて、
違うタイトルのエッセイにしていきたいと考えている。まあ、番外編は50回までに7年かかっているので、
毎月1本ペースでも4年2ヶ月かかるのだから、まだまだ先の話である。
さて、今回は「人工知能」と大上段に構えてみた。コンピューターのソフトは「知能」なのかというと賛否両論あるだろうが、
機械の自動学習という機能が、将棋ソフトや囲碁ソフトに長足の進歩をもたらしたことを考えると「人工知能」という表現も決して
大げさではないように感じる。
将棋界では、2013年に開催された第2回将棋電王戦において、コンピューターソフト5本とプロ棋士5人の団体戦が行われ、
プロ棋士側は、1勝3敗1持将棋と敗戦した。2014年の第3回も1勝4敗とプロ棋士が負けた。2015年のファイナルこそ3勝2敗と
プロ棋士側が勝ち越したが、システムを変えて行われた翌年の第一期電王戦(2番勝負)では、
プロ棋士のエントリー制トーナメントの優勝者(叡王)の山崎八段が、コンピューターソフトの優勝ソフトであるponanzaに
2敗する結果となった。
また、囲碁界では、世界トップ棋士といわれる韓国のイ・セドル九段が、今年(2016年)アルファ碁というソフトに
4勝1敗で敗れたことは、記憶に新しいだろう。このソフトは、ディープラーニングという機械学習の手法で強くなったということである。
将棋も囲碁も、完全情報公開ゲームである。サイコロの目などの偶然性に依拠するような要素は排除されている。しかし、
バックギャモンのようにサイコロを使うゲームにおいても、コンピューターソフトは世界チャンピョンを破るほどに進化して
いる。バックギャモンの場合は、解析ソフトというものがあり、最善手や次善手、有利不利などの評価をしてくれると
いうことである。
「競技かるた」はサイコロこそ使わないが、読み手が次になんの札を読むかはわからないという偶然性の要素があるゲームである。
この点をもってしても、将棋や囲碁のソフト開発とは異なる。
そもそも、競技かるたの場合、PCのモニター上での生身のプレイヤーとソフトとの対決は、実際のゲームとは似て非なるゲームになのである。
なぜならば、競技かるたは、実際にプレイヤーである人間が身体を動かして決められたサイズのフィールドで札を取る行為をすることで成り立つからである。
私もPCソフトで体験したことがあるが、PC上のゲームとしては、マウスを出札の上にもっていってクリックしなければ札を取ったことにはならない。
これは、実際の身体の動かし方とはまったく異なる行為であり、あくまで類似したゲームだが競技かるたそのものではないということになる。
もし、モニターを通常の競技線の大きさに揃え、床に埋め込んで表示し、画面の出札をタッチしたら取りというようにしたとしても、
それっぽいゲームという範囲を超えることはできない。画面上で札押しさえも再現したとしても同じことである。
そう考えるのは、競技かるたは、相手とのせめぎ合いを3次元の空間でおこなっていることによる。モニターはあくまで2次元の面にすぎないのだ。
さて、そうするとリアルに機械と人間が戦うということを考えれば、将棋や囲碁のように純粋なソフトウェアと人間との勝負の枠組みを超えなければならない。
将棋は、コンピューターのモニター画面上で人とマシンが対局することが可能だが、電王戦においては、デンソーが開発した
「電王手くん」(その後、「電王手さん」とか「新電王手さん」とバージョンアップ)が、棋士が棋戦で使用する実際の盤駒を
使って対局できるマシンとして登場している。ちゃんと対局前と勝負決着後のお辞儀をする機能も備わっている。
もし、競技かるたを人対ソフトで行なうとすれば、ソフトを搭載した三次元空間で人と札を取り合うマシンが必要になるだろう。
それは、実際の人の手や腕を模したもので、接触によって機械自体が壊れることなく、生身の相手に怪我をさせることのないマシンでなければならないだろう。
そのアームは、機械が読み手の声を集音して解析して出札に向かって動くようにセットされていなければならない。並んでいる札の種類と場所を認識させる
機能も必要だろう。相手の取りか自分の取りかも、機械として正確に判断する機能もほしいところである。
このようなマシンの製作話は擱いておいて、現実的なところで、有利不利の判断や、送り札をシミュレートして評価したり、
どの札へのアプローチをすべきかの優先順位をつけるような解析ソフトの開発をこそ望みたい。
まず、「有利・不利の判断」である。将棋や囲碁と違い、競技かるたの場合、素人が見ても一目瞭然である。残っている枚数を数えればいいのである。
A選手が10枚持っていて、B選手が5枚ということであれば、B選手が有利であることは明白である。何もソフトに頼らなくても理解できる。
しかし、A選手は10−5からの逆転勝ちが80%ある選手で、B選手が5−10からの逆転負けが70%ある選手であるというデータがあったら、
この有利・不利の判断をどう考えたらよいだろうか?
これは、個々の選手のデータベースを作って、変数をどう与えるかということになるだろう。しかし、私が望む解析ソフトは、この例のような
個々の選手のデータに依拠しなければならないようなものではない。もちろん、それはそれでありなのだろうが、個々の選手の
データから導き出されたものではなく、コンピュータがまさに機械的に、論理的に思考して構築された理論によって導き出された
解析結果をだせるソフトなのである。
しかし、過去の記録を読み込ませることは、人と人との試合のデータベースを作ることにほかならない。どこかで、それを
脱却し、機械対機械、ここではソフト対ソフトでのシミュレートによって、最善の送り札や次善の送り札や最悪の送り札など
の判断・評価ができるようなものが望ましい。何の札がその状況で最適な送り札なのかは人間の常識を打ち破ってくれることを
期待している。そして、どの札へアプローチするべきかの判断もアドバイスしてくれるソフトがほしい。
現在、言われている友札をわける送りや、敵陣右下段へ攻撃というアプローチ、これらが本当に論理的に正しいのか正しくないのか、
その問いへの機械としての判断がほしいのだ。人の考える常識をマシンが論理的に崩して、新しい戦略を構築したいのだ。
プログラマーが予めセオリーとして与える変数を廃して、フラットに競技のルールからだけ機械が判断する結果がほしい。手と札の距離や、同時の場合は札のある陣の選手の取りとか、お手つきのルールとか、気になる要素は一杯ある。個人的な仮説としては、コンピュータは「守りかるた」的な結論を出すように感じている。そして、敵陣への送りは決まり字の長い札を選択するように思うのだ。あくまで仮説なので、実際にソフトが開発され、機械の自動学習が行われたら、どういう解析結果がでるかはわからない。しかし、その結果に対して、何ゆえにマシンはそう判断したか。そこを考えて、自身の腑に落とさなければならない。その理由が腑に落ちたとき、競技かるたの新たな地平が見えるかもしれない。
ソフトの進化はどんどん進んでいく。まさに「人工知能」の域に達する日も遠くないであろう。しかし、囲碁にしても将棋にしても
人がおこなうゲームであるから面白いのである。そこには、様々な人間模様をみることができるからだ。ソフト対ソフトのゲームにしても
そこに開発者の人間模様が背景としてあるから面白いのである。
将棋の第2回電王戦の第4局の塚田泰明九段の涙こそ、人がプロ棋士が将棋を指すことの意味のように思えるのである。自分の対局で
団体戦の負けを確定させたくないという強い思い、これは、人と人の団体戦でよりも、ソフト対人の団体戦であればこその思いである
だろう。
ソフトがプロ棋士をはるかに凌駕し、ソフトが競技かるたのセオリーを根底から覆すようなこととなっても、生身の人間が
これらのゲームに真剣に向き合っていけば、そのゲーム自体がすたれていくようなことはないと信じている。
そして「競技かるた」も、たとえコンピュータの戦略を学んだとしても、生身の人間がプレイするからこそ面白いのだと思う。
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