TOPIC   "番外編"

「攻めかるた」の一側面

〜「感じ」の遅い選手への福音として〜

Hitoshi Takano JUL/2016

 今月(2016年7月)の私のホームページの新着記事のラインナップは、「私的かるた論」では 「『ちは』に関する一考察」、そして「手紙シリーズ」では 「また、後輩への手紙(VII)」として「真の『守りかるた』とは」である。
 どちらかというと、手紙シリーズの記事も、この「TOPIC」の記事も「私的かるた論」のほうが内容的には 適切なような気がするが、そちらにいっぺんに掲載するよりも、こうしてコーナーをわけて相互に読んで もらうのもよいかと思い、こちらに記載する次第である。

 今回のテーマのきっかけは、手紙シリーズにある。
 「真の『守りかるた』は、『感じ』のはやさが飛び抜けてないと難しい。」などと書いてしまったものだから、 「感じ」のはやさが飛びぬけていない多くの選手や、はっきり「感じ」の遅い選手へのフォローの文を書く必要が あると感じたためである。

 さて、「守りかるた」にしても「攻めかるた」にしても、極論として出る話が、双方が「守りかるた」で お互いお手つきもせず、自陣だけを取って敵陣を取らなかったとしたら、読まれた札の順番で勝敗が決まって しまうという類のものである。もちろん、「攻めかるた」バージョンも同じである。

 では、「守りかるた」と「攻めかるた」の対戦で、「感じ」のはやさも、払うはやさも同じだったら、 どうなるだろうか。
 極論すれば、「攻めかるた」は「守りかるた」の陣を抜けない。
 では、「守りかるた」は「攻めかるた」の陣を取れるのだろうか?
 私は、極論に走ったとしても「守りかるた」は「攻めかるた」の陣を取ることが可能だと思う。 なぜなら、「攻めかるた」の敵陣まで攻めにでる動く距離の長さが、その自陣への戻りの動作の中にスキを生む からである。守ってから攻めにいって取れる可能性のほうが、逆のパターンよりも高いのだ。
 この極論の前提の場合、「守りかるた」の側は、距離の利を生かし抜かれることはないので、同音のわかれ札は 守ってから異なるのであれば攻めにでればよい。この時の身体の動きを考えれば、スキの生じ方は、「守りかるた」 のほうが「攻めかるた」よりも小さい。第一動作を敵陣に向けるか、自陣に向けるかで、対象となる札への距離感 の相違が「可能性の高さ」の根拠である。
 極論とはいえ上記のような考え方をすれば、「感じ」と「払い」のはやさが、まったく同じであれば、「攻めかるた」は 「守りかるた」に勝てない。まして、「守りかるた」の側のほうが感じが早ければ、なおさらである。
 そこで、この極論から「攻めかるた」のほうが、「感じ」もしくは「払い」のはやさが「守りかるた」よりはやい ならば、前提は崩れ、「攻めかるた」に勝機が訪れる。もちろん、「感じ」と「はらい」と両方が上回っていれば より勝利の確率は高まる。

 こう考えると相手より「感じ」が遅い選手は、よほど守ってから敵陣を攻めにいくための身体能力が 高くなければ、「守りかるた」同士の勝敗の場合、相手のお手つきなどの要素を排除すると勝ち目はないと 言って過言ではないだろう。
 それは、「守りかるた」であるがゆえに戦略・戦術的な要素を活用できないからでもある。

 しかし、「攻めかるた」で「守りかるた」と対戦したとき、「感じ」は遅くとも「払い」の速度が相手を 上回っていた場合、敵陣を取ることができれば、活路が開ける。
 「攻めかるた」の利は、敵陣の札を取って、自陣から札を送る権利を得ることであるからだ。ここに戦略・ 戦術を巧みにしかける余地が生まれるのだ。同音のわかれ札をつくる送りをすることである。「感じ」がはやい ほうが、「感じ」が遅いほうより、お手つきの可能性が高いといってよいだろう。そのために、 お手つきをおそれての躊躇が生じてくれればしめたものだ。また、一音目の反応がはやい選手は、同音のわかれの 場合決まり字のタイミングをはずすことなどもあり、「攻めかるた」の側の利になる展開が生じる。

 一般的に言われるのは、「感じ」のはやさはもってうまれた個々の資質の差が大きく訓練で伸ばすには 限界があるということである。それに比較し、「払い」のスピードや技術は、個々の体格などの差はあるものの 「感じ」の資質の差よりも、訓練で伸びる伸びしろが大きいということである。

 このように考えていくと「感じ」が遅い選手が強くなるためには、「攻めかるた」のスタイルしかない のである。

 まさに、「感じ」の遅い選手にとって、「攻めかるた」は福音なのである。

 しかし、「感じ」の遅い選手は、音への反応が遅く、一音目で攻めることができず、攻めようと思った 時には決まり字が聞こえてしまっていることもある。それが自陣の札であったりすれば、自然に自陣の札を 取る。それを世間からは「守り」と言われてしまうことがある。
 あまりにこのケースが多いと「守りかるた」のレッテルを貼られてしまうが、本稿で確認してきたように 「感じ」の遅い「守りかるた」の選手に強くなる未来はないのである。あくまで、「攻めかるた」のスタイル で札を送り、相手陣を攻めようとしているからこそ、自分の「感じ」の遅さがたまたま試合展開に有利に働く ことがあるというだけなのである。

 このように、「感じ」のはやさだけでは決まらない、様々な要素の絡み合った競技であるから「競技かるた」は 面白いのである。

 そう考えると、競技かるたの進歩は、幾多の「感じ」の遅い選手の努力の上に積み上げられたものなのかも しれない。

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