TOPIC   "番外編"

痛恨の敗戦

〜戒め〜

Hitoshi Takano FEB/2017


 練習と試合を合わせて、対戦成績が50試合を超える相手は、そう多くはない。739名の対戦相手(2017年1月末現在)のうち、わずかに5人である。 そのうち、相手の在学中に50試合を超えたのは4人である。
 先月7日、卒業を間近に控え、卒業論文の執筆にいそしんでいる中、総合政策学部の4年生が、私の2017年の初練習の相手となってくれた。 この対戦が、彼が入学してからの私との通算対戦50試合目となった。
 今年度の初めに46試合だったので、4年生は就職活動や卒論で忙しくなることをふまえ、対戦数50を実現しようという目標を二人で立てた。 私としては、最後まで勝ち続け50連勝を遂げる目標であり、彼は1勝あげるという目標であった。しかし、彼我の実力差からいうと1勝という のは高嶺の花という目標であり、1勝できないまでも当時6枚差という最小枚差の更新というテーマも持っていた。
 4月24日の47試合目はSFCの体育館で16枚差で一蹴。6月27日の48試合目は、終盤の粘りで7枚差までがんばられてしまった。 6枚差からのお手つきだったので、最小枚差更新のチャンスを彼が自らつぶしてしまったかんじであった。49試合目は三田婦人室で10月22日 に対戦。夏からの繁忙の中で蓄積した疲労感があったのか精細がなかったので、安全運転ながら14枚差で勝利をおさめた。これで49連勝。 ついに50連勝にリーチがかかった。

 50試合目の予定は11月27日(日)、SFC体育館で対戦する予定であった。3試合の練習のうち1試合は、この50試合目のカードが組まれる 段取りになっていた。しかし、この対戦は「幻」と消える。彼が、遅刻したため、対戦カードの予定が狂ったのだ。結局、この日の対戦の組み換え が3試合目まであとを引き、対戦が組まれることはなかった。
 勝負に「たら、れば」はないが、この日に対戦が組まれていれば、50連勝が達成されていた可能性は高い。しかし、運命は皮肉である。

 そして、年明けの1戦目。彼は卒論の執筆中であったが、「息抜きをかねて」ということではあるが、11月の遅刻による「幻」と消えた対戦の 責任を感じて時間を工面して参加してくれたのであった。
 対戦の流れはいつもどおりで、前半からじりじりと私が差をひろげ、8対16、7対14と倍セーム状態で、過去の対戦の経験からいっても このままいけば、7〜8枚差で勝利できるだろうという感じだった。ただ、自分としては12月18日以来の練習で、腰の切れの悪さを感じていた。 そのため、敵陣の右への攻めに切れがなかった。相手より早く敵陣札を払ってはいるのだが、段ズレがあって後から来た彼の払いで札を出されて しまったケースなど不正確さがあだになってしまった札が何枚かあった。
 対戦後の彼に言わせると「微妙な取りで送られなかったので助かった」と言われたが、私の不正確さが原因であり、それよりも遅くともあきらめず に自分のスピードで払いに来た彼の執念が取りを生んだのである。
 私自身にも油断はあった。結局は守り中心の相手なので、自陣はキープできるという甘さがあった。1−3から、自陣の「いに」(一字に決まっていた) を抜かれたのは、この甘さ以外の何ものでもない。相手が右利きであったなら、キープしていたであろう。しかし、彼は左利き、このときに限って 彼の左利きらしい手の軌跡による「攻め」が決まっていた。
 本来ならば、相手の「しら」へのお手つきでの、こちらの右下段への攻めのお手つきをしたときに、彼が攻めに来ていることをきちんと認識し、 それに対応した考え方をしなければならなかったのである。しかし、「お手つき」という現象のみをとらえ、攻められていることを頭の中から スルーしてしまった。これは、過去の49戦から導き出された経験則が事実認識に蓋をしてしまったからに違いない。過去の対戦の経験が この日に限っては、相手の利として機能してしまったのである。これは、自分自身に戒めなければならないポイントである。
 最終盤の送りの意味は大きい。運命戦で出ない札を送れる権利をもてるからだ。結果、彼は、「あふこ」(すでに一字決まり)をこちらに送り、 「この」(すでに一字決まり)を自陣に残した。彼に一枚守られたあと、嫌な感じを感じつつ、相手の送りミスの可能性も考えてはいたが、結局 運命戦は「この」が読まれた。
 彼の狂喜乱舞をみるはめに陥るとは思ってもみなかったが、卒論の仕上げを置いても私との約束の50戦目を戦うために練習に来てくれたことに 対するご褒美だったのかもしれない。彼自身が、自らの決断でつかんだ勝利といってよいだろう。
 彼の今日の1枚差の勝利は、私との49試合累積の723枚差に匹敵する勝ちなのだ。

 私としては彼の在学中にリターンマッチを行い、50勝の区切りをつけたいが、卒論もあって、卒業旅行もするであろう彼が対戦に応じてくれる かどうかはわからない。そして、卒業後は島根に行ってしまう。
 とはいうものの、いつになるかはわからないが、この1敗の借りはどこかで返したいと強く願うのである。


50試合の軌跡

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