TOPIC   "番外編"

2016年の振り返り

〜3キャンパスのバランス〜

Hitoshi Takano JAN/2017


 2016年は、私がかるたを取る環境に大きな変化があった。11月1日で勤務場所が湘南藤沢キャンパスから三田キャンパスに移ったのだ。 いわゆる転勤であり、職場環境が変わり、生活のリズムも変わる。10月までは、仕事が終わったあとの月曜日の練習に参加できたが、三田で 練習できる場所は月曜ではなく水曜日ということになった。水曜日は日吉の練習もあるので、現役の協力を得づらい曜日でもある。実際には 異動月はあわただしすぎてメーリス作成くらいしかできず、12月も水曜のイベントが多く1回しか開催できていない。2017年こそは定期 的に開催していきたいと考えている。
 三田キャンパスへの異動を予期していたわけではないが、いつになく三田婦人室での練習の多い年となったのは何か縁を感じる。 前年比15試合増の20試合であった。三田婦人室での総試合数は2016年末で48試合(33勝15敗.688)だが、そのうちの 41.6%(4割強)を2016年の1年間で稼いだことになる。
 では、2016年の学内の各キャンパスでの練習状況を振り返ってみよう。

場所
試合数
勝敗
勝率
日吉和室
29試合
23勝6敗
.793
三田婦人室
20試合
12勝8敗
.600
SFC体育館
22試合
12勝10敗
.545
SFC中高
2試合
0勝2敗
.000

 SFCは2つの場所なので、合計すると24試合で12勝12敗で勝率は.500となる。前年比マイナス22試合である。 平日練習や日曜練習がうまく成立しなかったり、初心者への指導のみで終わったケースもあったから減ってしまったのであろう。 対戦相手も上の学年に進むと忙しくなって、時間の都合をあわせるのが難しくなるものだ。 ここ数年、日吉と並んで、時としては日吉を越えて私の主戦場となっていたSFCであるが、年間20試合以上を取るのは、 勤務地が三田となると無理になるに違いない。
 2016年は日吉での対戦数が2015年を5試合上回った。新入会員とひととおり対戦することを目標に4月からせっせと 日吉の土曜練習に顔を出した成果である。これは対戦者数に表れている。初対戦者数は739名となったが、2016年は初顔合わせが27名。 1年間で25名を超えたのは1987年以来実に29年ぶりである。
 こうみると2016年は、日吉29試合、SFC24試合、三田20試合と3キャンパスがいずれも20試合超で差は9試合以内に おさまっており、バランスのとれた結果になったように思う。
 年間80試合のうちの73試合がこの3キャンパスでの対戦であった。ちなみに年間試合数は前年比マイナス13試合であり、 目標の年間100試合には今年も及ばなかった。試合日数は前年比マイナス11日の36日。月3日平均は物足りない数字である。
 次に学年別の対戦結果を見てみよう。2015年と2016年の比較をしやすいように並べて記載した。

2015年
対戦数
勝利
敗戦
勝率
 
2016年
対戦数
勝利
敗戦
勝率
対1年生
33
18
11
.545
 
対1年生
29
24
5
.828
対2年生
17
11
6
.647
 
対2年生
12
6
6
.500
対3年生
14
12
2
.857
 
対3年生
4
0
4
.000
対4年生
4
3
1
.750
 
対4年生
11
10
1
.909
対高校生
7
6
1
.857
 
対高校生
5
2
3
.400
対中学生
4
4
0
1.000
 
対中学生
1
1
0
1.000
対卒業生
10
6
4
.600
 
対卒業生
15
7
8
.467

 1年生は大体が、4月からの新入生中心なので頷ける数字である。秋学期になって4月から開始してB級にあがっている1年生も 複数名いるので、その成長を見て取れる。昇級の機会には残念ながら恵まれないもののD級でも強くなった選手が多々いるのも未来を 期待させる。4月に始めた新人同士、切磋琢磨して強くなってほしい。
 2年生・3年生も大体順当な数字が出ている。対4年生の勝率が高いのは、対戦相手に偏りがあるせいである。高校生と中学生は SFC中高生との対戦が少なかったことが数字に表れている。ちなみに対高校生の2勝は夏の職域学生大会での戦績である。
 卒業生との試合数は、2016年のほうが伸びている。三田婦人室の練習に卒業生が協力してくれている証左である。
 対戦数10試合以上は、96人のままで、今年新たに追加される選手はいなかったが、対戦数5試合以上は若干増えて、186人となった。10試合以上100人、5試合以上200人は通過点としての当面の目標である。

 2016年の主な戦績はといえば、まずは職域学生大会D級でチームの主将として2戦2勝。チームは勝点を落としたが、役割は果たせたものと思う。1月の第12期慶應職員名人戦では、風邪のため初の欠場を経験。12月の第13期慶應職員名人戦では、2戦2勝で職員名人位を奪還。優勝回数を10回の大台に乗せる。同じく12月開催の第2回慶應オープントーナメントでは、前年に引き続き初戦敗退。敗戦後の交流戦を含め、前年2、今年も2の敢闘賞配給王(A級の私の場合、B級以下の選手に敗れると相手に敢闘賞が与えられる)となってしまった。私が現役のときは、現役だけで慶應杯というトーナメント戦を行っており、大学2年時と4年時に3位入賞しているが、参加人数もそのときの倍以上となり、OB/OGも参加できるスタイルとなって、おおいに盛り上がった。まずは、第3回大会を開催することが課題だが、継続していける大会に育つとよいと願っている。

 さて、私にとって2016年を振り返るとき、もっとも大きな出来事は、4月末の父の逝去である。直接的に競技かるたの戦績に関わることではないが、いろいろな意味で影響があったことは確かである。

 2016年に起こった様々なできごとをあとにして、2017年もただただ斯道に邁進するのみである。


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