TOPIC   "番外編"

〜じっと手を見る〜

Hitoshi Takano FEB/2018


 石川啄木の短歌のようなサブタイトルであるが、生活の苦しさがテーマというわけではない。
 とはいえ、日常の生活の中で「じっと手を見る」ことはないだろうか?

 仕事をしているとき、ふとPCのキイボードを叩くときに爪の長さが気になることがある。「爪が伸びた」と 感じるとき、「じっと手を見る」のだ。啄木が見た手は「手のひら」側だろうが、私が見る手は「手の甲」側である。

 手の甲側から手を見る。そして視線は指先にフォーカスされる。さきほどは指先の感触で「爪が伸びた」と 感じたが、今度は視覚によってその事実が確認される。

 あらためて「じっと手を見る」。
 「爪は確かに伸びている。」
 ここで思うのは、「そういえば、しばらくかるたを取っていないなぁ。」ということである。

 「手」は、競技かるたの選手にとっては大事な道具である。肉体の一部であるのだから「道具」というのは相応しくないかもしれない。
 しかし、スポーツ選手がそれぞれの種目で使う道具と同様の意味合いを持つ。卓球やバドミントン、テニスなどの選手のラケットを イメージしてもらえればよいだろう。野球であれば、グラブやバットである。ゴルフならクラブだ。一流の選手は、道具を大事にする。 道具の手入れを怠らない。そういう意味で、競技かるたの選手にとって、手は手入れしなければならないものなのである。

 まず、手は清潔に保っていなければならない。そして、相手の手と接触することを考えれば、爪は伸ばしていてはいけない。 相手を傷つける可能性が高くなるからだ。だから、かるたを取る前には「爪」を確認する。伸びていれば適切な長さに切る。
 「爪が伸びた」ということは、競技かるたをしばらく取っていないことを意味するのだ。

 「じっと手を見る」

 それは、かるたの競技者にとっては、練習不足の証左にほかならない。
 願わくは、「じっと手を見る」ことのない選手でありたい。

 次に「じっと手を見る」のはいつになるのだろうか、、、、、

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