TOPIC "番外編"
祝!「国民栄誉賞」
〜囲碁界・将棋界との差〜
Hitoshi Takano MAR/2018
先月、囲碁界と将棋界は、お目出度い話題で盛り上がった。
囲碁の井山裕太七冠と将棋の羽生善治永世七冠が国民栄誉賞を授与されたからだ。
井山裕太氏は、囲碁のBIGタイトル7つを独占。最初の七冠から名人位を失冠したあと、再度奪還に成功し二度目の七冠を達成した。
羽生善治氏は、過去に将棋のBIGタイトル7つを独占したことがあるが、今回竜王位に復位したことで、その7つのタイトルすべてで永世称号の資格を得、「永世七冠」を達成した。
国民栄誉賞授与の様子は、各マスコミで報道され、囲碁界・将棋界ともに大きく話題となった。
このことがきっかけとなって、囲碁・将棋を始める少年少女はきっと大勢いるだろう。
両氏はこのような普及面においても棋界に大きな貢献をしたことになる。
さて、囲碁界・将棋界には過去にも、叙勲された棋士たちがいる。
そうした先達がいたことも、叙勲とはまた違う顕彰ではあるが、今回の国民栄誉賞につながったのだと思う。
囲碁・将棋の歴史は古く、双方の棋界とも江戸時代の碁所・将棋所やお城碁・お城将棋など、時の政権との関わりにおいても長い伝統を持っている。
時の政権が、こうした文化的な活動に意を用いることは大事なことだろう。
私は、囲碁は打てないが、多少の興味はもっている。
また、将棋については、指すことはできるし、ファンといえるくらいの知識は持っている。
今回の両棋界の栄誉は、ファンの一人としても大変嬉しい。
私は競技かるた界の人間として、両棋界からは多くのことを学ばせてもらっている。
これだけの競技人口と歴史のある両棋界でさえ、今回初めての国民栄誉賞であったわけだから、競技かるた界から国民栄誉賞がでるのはきっとまだまだ先のことなのだろう。
わかりきったことと言われるかもしれないが、一応、競技かるた界と両棋界の差を考えてみることにしよう。
まずは、日本における歴史を比較してみよう。
囲碁は、日本においては正倉院御物に碁石・碁盤があるし、吉備真備伝説などもあり、奈良時代にはすでに打たれている。
将棋は、平安時代の木簡から駒の文字が出てきているので平安時代には指されている。
ただ、現行のルールに落ち着いたのは安土・桃山から江戸初期だろう。
一方、競技かるたは、使用されている小倉百人一首自体の編纂は鎌倉初期だが、かるた札になったのは江戸期、競技としての確立は明治期(萬朝報の広告により選手を集め日本橋で大会が開催されたのが1904年2月11日であり、これを現在に繋がる競技かるたのルーツとする)ということで、両棋界との差は大きい。
次に名人等の称号でいうと、これも江戸初期から続く両棋界に比較し、競技かるたでは、昭和も戦後の制定となり差がある。
さらに、プロ組織の有無では、両棋界はプロ組織があるが、競技かるたにはプロ組織はない。
挑戦手合いのタイトル戦でいえば、両棋界には七大タイトル戦(将棋界は叡王戦が加わり八大タイトルになった)がある。
一方、競技かるたは挑戦手合いのタイトル戦は、名人戦とクイーン戦のみである。
タイトル戦にしても、プロとして成立している両棋界は、棋譜の掲載をする新聞社等との契約で契約料や賞金等の金額が大きい。
競技かるたはあくまでアマチュアの域の中でのタイトル戦である。金額の面で両棋界と比較すること自体おこがましい感じである。
競技人口も、最近、マンガ・アニメ・映画の影響で増加してきているとはいえ、囲碁・将棋の競技人口には及ばない。
このような差を考えれば、競技かるたの選手が、国民栄誉賞というのは、夢のまた夢であろう。
しかし、名人・クイーンを目指す選手たちの情熱は、けっして引けをとらないと思っている。
いつの日か、両棋界のように広く認知され、国民全体に話題となるような「かるた界」となることを夢見ている。
がんばれ! かるた界!!
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