TOPIC   "番外編"

個人データの楽しみ(番外編)

〜途切れた記録〜

Hitoshi Takano May/2020


 ついにこの日が来てしまった。
 2009年2月から、11年と2か月。134か月続いた暦月での連続練習記録が途絶えてしまった。
 新型コロナウイルスに敗れたと言ってよいだろう。
 この記録のスタートは私がまだ、三田の学事で仕事をしていたころだった。そして、この年の11月からSFCに戻り7年間の第二期SFC勤務時代となった。 私のこの11年2か月の記録の半分以上がSFC勤務時の記録ということになる。134か月のうちの84か月で、62.7%である。
 ちなみに対戦数でいえば、932試合中の596試合(400勝196敗,勝率.671)で63.9%となる。勝率は全体の数値より低い。
 この間、記録継続に関して、4回のピンチがあった。月1試合というケースが4回ある。
 2010年9月、2012年12月、2019年7月、2020年3月である。
 2010年9月は18日に日吉で法学部の現役H君と取ってクリアし、2012年12月は19日にSFCで理工学部の現役Y君と取ってクリアした。 学生の冬休みも迫ってきており、ここでわざわざY君がSFCまで来てくれなければ、記録はついえていたところだった。
 残り2回は、わりと最近で、どちらも総合政策学部OBのH君が対戦相手だった。 2019年7月は31日ギリギリで三田婦人室で取ってクリアし、2020年3月は新型コロナウイルス感染症対策で、換気と手指消毒、マスク着用での練習だった。 三田婦人室でクリアしたが、これはのちに感染が広がったのではないかといわれる疑惑の三連休の中日の21日であった。 このあとから、三田婦人室での練習は完全にできなくなった。
 そして、続く2020年4月、ついに緊急事態宣言が5月6日まで発せられた。その前にキャンパスの閉鎖はスタートしており、ついに記録が途切れることとなったのである。

 では、暦月単位の連続対戦記録のベスト5の記録を以下に掲載する。

順位
開始
 
終了
月数
対戦数
勝利数
敗戦数
勝率
月平均対戦数
備考
2009年2月
2020年3月
134ヶ月
932戦
636勝
296敗
.682
6.96
 
1979年4月
1983年10月
55ヶ月
1243戦
674勝
569敗
.542
22.60
 
1983年12月
1988年4月
53ヶ月
789戦
507勝
282敗
.643
14.89
 
1999年2月
2000年8月
19ヶ月
177戦
117勝
60敗
.661
9.32
 
1996年10月
1997年5月
ヶ月
39戦
19勝
20敗
.487
4.88
 
1995年7月
1996年2月
ヶ月
27戦
18勝
9敗
.667
3.38
 
1988年7月
1989年2月
ヶ月
84戦
48勝
36敗
.571
10.50
 

 第2位の55か月は、大学に入学して4月に競技かるたを始めてから、就職1年目当時の業務繁忙月(11月)で途絶えるまでの4年7か月である。 この55か月のほうが、今回の134か月よりも対戦数(1243戦>932戦)が多い。月平均が22.6試合と6.9試合では大違いである。
 続く第3位は、53か月。第2位の記録が途絶えた次の月からの記録である。1983年11月に1試合でも取っていれば、109か月(9年1か月)の記録になっていたのだ。 後にこんな記録をつけ始めることを知っていたら、この当時だったら、多少の体力的無理をおしてでも1試合だけでも取っておけばよかったと思うのである。 これも「個人記録の楽しみ」の綾である。
 第4位は、19か月。1年と7か月である。人事異動で職場が変わり、仕事のペースが安定してきた時期である。
 第5位は、8か月が3回。1年に満たない記録でも第5位に入っている。それぞれの期間をみると、その時々の職場環境や生活環境などを思い出す。
 ポイントは、職場の近くで練習できるかどうか、言い換えれば仕事終わりに練習に参加できるかどうかであったように思う。  ある意味、自分でその練習環境を作ったということでもある。自動読上機の「ありあけ」もなく、読上用のスマホアプリもない時代は、 何十本とテープに読みを録音して、二人しかいない環境で練習を続けたのである。 それは、連続8か月で途切れ途切れであったかもしれないが、小さな努力の積み重ねであった。

 続いては、暦月単位の対戦がなかった連続記録のワースト5の記録を以下に掲載する。

順位
開始
 
終了
月数
備考
1989年9月
1992年7月
35ヶ月
 
2004年9月
2005年3月
ヶ月
 
2000年9月
2001年2月
ヶ月
 
2002年9月
2003年2月
ヶ月
 
2003年9月
2004年2月
ヶ月
 
次点
2005年10月
2006年2月
ヶ月
 
次点
2006年10月
2007年2月
ヶ月
 

 第1位は、2年11か月。ほぼ3年間である。この時期は、人生の中で相当に変化に富み、忙しい時期であった。 婚約し、結婚に向けての準備が始まり、引っ越しもあった。そんな時期に重ねて、新キャンパス(SFC)の開設準備室への異動。 1990年3月の結婚、そして1か月立たないうちに、新キャンパスが1990年4月に開設した。 開設当初の繁忙など、様々な要因で練習をすることができずにいた期間だ。
 この状況を打ち破ったのは、一人の競技経験者のSFC入学であった。これをきっかけに日吉練習への参加が復活し、SFC練習も始まった。 さすがに、これだけの長きにわたって対戦練習をしていなかったので、復帰戦はちゃんと取れるかどうか不安だった。 昔取った杵柄というべきか、3年先の練習という言葉のとおり、ぎりぎりで3年以内に収まったということなのかはわからないが、 従前どおりではないものの、身体が動いたし、音に反応できたことは嬉しかった。
 第2位以下は、これも仕事との関連である。平日は多忙で、練習ができそうな土曜・日曜にも様々な予定が入っており、 なかなか思うように練習できなかったのだ。
 最初の月が9月、最後が2月のケースが多いが、これは、職域学生大会のための集中練習期間である8月と3月には、 多少無理してでも練習に顔を出したということによるものだ。この集中期の余韻で10月スタートなど多少のずれでがある。
 職域学生大会という団体戦を大きなモチベーションとして競技をしてきた私にとっては、 8月と3月の練習は競技者として、ピーキングの訓練としても大事な練習月なのである。
 ワーストの第2位が、7か月。ワーストの第3位が、6か月3回。ここまでで、約半年連続のブランクにとどまっている。 個人的感覚だが、連続ブランクは長くても半年未満に抑えたいという思いがあり、次点の2回のブランクはギリギリセーフというところである。
 もちろん、毎月最低1回の練習を課している身としては、1か月のブランクでも悔しいのではあるが、今回のコロナ禍のように人生には何があるかわからない。 あまり記録に神経質になることは、かえって精神衛生上よくないだろう。

 最後になるが、今回のコロナ禍で強く感じたのは競技かるたの感染予防上の弱点である。
 コロナウイルスの感染予防には「三密」を避けるということで、密閉・密集・密接を避けねばならない。 かるたは試合にしても練習にしても、余計な音を遮るために、どうしても窓を閉めて行うので、「密閉空間」になりやすい。 たとえば、換気を心がけるにしても、試合途中(組数にもよるが1試合、1時間〜2時間)で30分ごとに中断して、窓をあけるのは選手の気持ちとしては馴染まない。 もちろん、そんなことは言ってられない状態になれば、そうせざるをえないとは思うが。
 そして、密集である。試合会場は、密集そのものである。練習会場にしても、広くない練習会場であれば、それなりの人数の参加者がくれば、 立派な「密集集団」になってしまう。組と組との距離をしっかり取ろうとすれば、練習場の広さを考え、取り組み数を限定せざるをえないだろう。 おそらく、三田婦人室ならば、最大5組のところを4組に減らさないとならないだろう。
 もう一つの「密接」はどうしようもない。対面でおでこがぶつかりそうな距離で対戦する競技は、あきらかに「密接競技」である。 ソーシャル・ディスタンスの確保とは、真反対の競技なのである。札を取りに行けば、お互いの手が触れることがある。 競技中のマスク着用を義務付けたとして、1時間以上相手と向かいあっての競技で、どれだけの予防効果があるのだろうか。

 こんなことを考えていると、感染者数の増加の発表を見ている限り、なかなか沈静化の目途が立たないようだ。 緊急事態宣言の解除も当初の5月6日から延びるのではないだろうか。(追記:実際、5月31日まで延びた。)
 一番安全なのは、対人の対戦練習はしない、各種大会などの試合は行わないのが感染予防にはベストとしか思えない。 しかし、それでも、感染予防をしながら練習はしたい。願わくは、暦月での練習できない連続記録ワースト5記録に、今回の騒動の記録が載らないことを!


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