TOPIC   "番外編"

100試合&出場30回達成

〜職域学生かるた大会〜

Hitoshi Takano Sep/2022

 2022年8月20日、2019年夏の第106回大会D級開催以来、コロナ禍により開催できないでいた職域学生かるた大会(以下、職域大会と記す)が開催された。
 「第107回」ということで、新たな運営方式によるスタートとなった。
 第106回のABC級は、2020年3月の予定であったが、初期のコロナ感染時期で、緊急事態宣言直前の状況であり、結局開催見送りのまま、ABCの各級の順位はつかぬままとなってしまった。
 その後、2020年8月と2021年3月、2021年8月と2022年3月、コロナ禍に対する社会的な状況をふまえ、職域大会は見送らざるをえないという決断を強いられてきた。

 新しい変異種が流行する中、ワクチンの3回接種や行動制限についての行政の判断状況、変異種の特性の分析状況や、 第7波による新規感染者数や医療の逼迫状況など様々な見方はあるものの、この夏、職域大会は、D級64チームを32チームずつ二日に分けて開催し、 E級を翌週に実施するとの判断となった。
 会場提供の関東第一高校や新体制となった職域大会の実行委員会には感謝を申し上げる次第である。

 さて、私個人のことであるが、第105回の職域大会D級に慶應義塾教職員チームで出場しているが、総合成績が悪く、第106回のD級は出場権がなかったので、2018年8月以来の職域大会出場となった。 ここしばらくは、職域大会30回出場と100試合達成を目標に出場を続けてきたのだが、参加希望チーム数の増加により、 半年単位の実施から下位クラスと上位クラスと夏と春にわける年度単位の実施方式に変ったことと、 夏の下位クラスの場合は、チーム人数が5人に満たない場合の扱いの運用や、チームが良い成績を上げられないと翌年の大会に出場できないという運用の影響で、 ほぼ隔年の出場であった。そして、せっかく出場してもトーナメントを勝ち抜かないと4試合をフルに試合することはできずに2試合のみというケースもあって、 なかなか出場回数と試合数が伸びずにいた。
そんな中でのコロナ禍である。定年退職までの間にコロナ禍で開催されない場合、30回出場と100試合達成は可能なのだろうかと不安になっていたものである。

 まずは、私の職域大会の出場の軌跡をみていただこう。 [リンク先をクリックすると閲覧できます]

 今回、ついに目標であった「職域大会」30回出場100試合を達成した。
 デビューは、1980年(昭和55年)3月開催の第34回大会のC級で、九段下の暁星学園が会場だった。大学1年生で慶大Cチームの六将で出場した。 当時はABC級の3クラス(A級8チーム,B級8チーム,残りのチームがC級)で、C級は現在のE級と同じ方式での試合形式だった。 それから42年半をかけての30回出場、100試合達成となった。 職域大会に出場するには、同じ学校や同じ会社(法人等の組織)などに所属しているメンバーでチームを組まなければならない。 前者がいわゆる「学生チーム」(小学生は「児童」、中高生は「生徒」だが、ここでは「学生チーム」とひとくくりにする)、後者がいわゆる「職域チーム」である。 そういうわけで「職域学生かるた大会」なのである。 チームの人数は、5人制の団体戦なので、競技かるたのできる選手が最低3人はいないとチームにはならない。 そして、その選手が試合当日に出場できなければならないわけだが、社会人の「職域チーム」には、業務というものがある。 試合当日に出張などが重なると、最悪の場合、当日にチームが組めないことになる。 すでにチームがある会社やチームを組める素地のある会社等に就職できればよいが、そうでない場合は、チームメイト探し、チームメイト育成、 チームメイトリクルート等、一からスタートしなければならない。私も、最初は当時のルールに則り、学校法人慶應義塾就職後も慶大チームで出場していたが、 そののち、慶應義塾教職員チームで出場するまでには18年の歳月が必要であった。 慶應義塾教職員チームのデビューは5人だったが、その後は、試合当日に4人しか集まらないことが多々あり、業務優先の職域チームの悲哀を感じたものだった。 今回、試合当日に6人が集まり、リザーブ選手にも活躍してもらえたことは、ここまでの経験からすると奇跡といっても過言ではない。 願わくば、これ以上のチーム状態が常態化できるようにしていきたいと心より願うものである。

 では、いろいろな切り口から、100試合を振り返ってみよう。
 トータルで、47勝53敗で、不戦勝1が含まれる。
 学生時代の出場は6回、22試合で4勝18敗、勝率0.182である。
 卒業後は出場24回、78試合で43勝35敗、勝率0.551である。
 卒業後も、当時は職員が学生と一緒に出場できたので、卒業後の10大会は慶大チームで出場している。
 慶應義塾教職員チームとしての出場は14回、49試合で27勝22敗、勝率0.551となる。
 以下、ジャンル別に紹介する。

 春の大会 12回出場 37試合 13勝24敗 .351
 夏の大会 18回出場 63試合 34勝29敗 .540

 夏の大会が多いのは、2014年以降はそれまで半年に1回すべての級を実施していた形態を改め、年度単位として、D/E級は夏開催、ABC級は春開催としたためである。 慶應義塾教職員チームは、最高成績がD級3位のため、昇級できずに夏の出場を余儀なくされたことで、夏の出場が春の出場を上回っている。

 A級    8回出場 28試合 10勝18敗 .357
 B級    7回出場 21試合  8勝13敗 .381
 C級    1回出場  2試合  2勝 0敗  1.000
 D級    11回出場 37試合 17勝20敗 .459
 E級    3回出場 12試合 10勝 2敗 .833

 A/B/C級の出場は、慶大チームでの出場時代で、1980年代の運営制度による。D/E級は、慶應義塾教職員チームになってからの出場である。 E級は、運営形態により設置されていた時期と設置されていない時期がある。 E級は、予選は個人単位でチームで並ぶことなくバラバラに対戦し、一回戦ごとにチームとしての勝点・勝数を計算し、予選1〜3回戦で順位を決めて、 4試合目の順位決定戦においては、チーム5人が並んで相手チームと団体戦を行う形式の運営である。 今回実施の第107回大会で、E級が復活した。 見てのとおり、現在の主戦場はD級である。

 主将    8回出場 30試合 14勝16敗 .467
 副将   10回出場 35試合 16勝19敗 .457
 三将    2回出場  7試合   4勝 3敗 .571
 四将    3回出場 12試合  2勝10敗 .167
 五将    4回出場 12試合  7勝 5敗 .583
 六将以下  3回出場  4試合  4勝 0敗  1.000

 慶大チーム時代は、主将4回(いずれも学生時代)、副将1回、三将1回、四将3回、五将4回、六将2回、七将1回であった。 慶應義塾教職員チームになってからは、前回まで主将4回、副将9回だった。副将の回数が多く、 新選組で鬼の副長と呼ばれた土方歳三を気取って「鬼の副将」と言いたいところだったが、実際のところは「仏の副将」というよりも「鬼ヨワの副将」だった。 自分の力不足は充分に感じていたので、早く三将以下に回れる日がこないかなぁというのが切実な希望であった。 その希望がやっと今回かなったわけである。といっても、私が三将というのもチーム事情を表しているようで、 私の将順をもっと下げるべくチームメイトには調子をあげてほしいものである。

 一回戦       26試合 11勝15敗 .423
 二回戦       24試合  9勝15敗 .375
 三回戦       28試合 16勝12敗 .571
 四回戦       22試合 11勝11敗 .500

 運営方法の変更で、D級がブロックトーナメントになっていた時代、一回戦に敗れるとニ回戦と四回戦は戦えず、三回戦の順位決定戦に出場というスタイルだったため、 二回戦と四回戦が数字が伸びていない。一回戦に勝ってもニ回戦で敗れるとこのケースでは、三回戦・四回戦は戦えない。 このスタイルの場合、4試合とるためには、一・二回戦をチームとして連勝するしかないのだが、この制度下での4試合フル出場は、ついぞ経験できなかった。
 なお、個人的には三回戦が疲れのピークで、負けている印象が強かったが、一番勝率がよいことに驚いている。
 ちなみに4試合フル出場は20回(32勝48敗.400)、3試合出場は3回(6勝3敗.667)、2試合出場は4回(7勝1敗.875)、1試合のみの出場は3回(2勝1敗.667)である。 フル出場の成績は、4戦全敗が5回、1勝3敗が5回、2勝2敗が4回、3勝1敗が5回、4戦全勝が1回となっている。

 暁星学園       2回出場  6試合  3勝 3敗 .500
 代々木八幡区民会館 10回出場 32試合  9勝23敗 .281
 千代田総合体育館   1回出場  1試合  1勝 0敗  1.000
 江戸川区スポーツC  16回出場 58試合 33勝25敗 .569
 関東第一高等学校   1回出場  3試合  1勝 2敗 .333

 会場別は、慶大チーム時代の代々木八幡区民会館、慶應義塾教職員チーム時代の江戸川区スポーツセンターが、それぞれの時期の主戦場というイメージになっている。

 勝利枚差平均  8.478枚
 敗戦枚差平均  8.698枚

 平均すると勝ちにしても負けにしても、8枚〜9枚差での決着という感じになる。運命戦は、10試合で5勝5敗である。

 慶大チームで2度A級優勝を経験したが、最初の時は4戦全敗。2度目は3回戦にワンポイントで出場して1勝という記録である。
 全勝賞は、E級で1回取っている。

 こうした区切りの記録は、あくまで通過点のつもりである。なにせ、私の同期の選手には、職域学生大会51回出場で170試合(+不戦勝3試合)の選手もいるのである。私も、引き続き精進していきたい。
 そして、この記録は、大会を運営してくださる斯界のみなさん、そしてチームメイト、対戦相手の方があってのことであり、皆さんに感謝している。
 コロナ禍により、普通に競技できることの嬉しさをしみじみと感じるのである。団体戦特有の掛け声などは今回は禁止されていたが、 個人的には今後も掛け声なしでよいように思う。コロナ前は、少し掛け声過剰でにぎやかすぎたように感じていた。

 最後になるが、還暦をすぎての夏の暑い盛りに何試合も取ることの身体への影響を痛烈に感じた今回の大会だった。 大会一ヶ月前のぎっくり腰の影響で練習もままならず、腱鞘炎も完治せず、体重増で膝への影響も大きく、自己管理の問題だといわれればそれまでだが、 加齢による衰えは確実に身体に影響を及ぼしている。練習をこなし、職域大会で4試合取ることになんの不安もなかったあの若き日を思い出す。
 今の若い選手に伝えたいのは、今は当たり前に感じているその身体の状況は、実は素晴らしいものであることを認識してほしいということである。 現在の私には、若き日の身体能力や健康がとてつもない贅沢に思えてしかたがないのである。


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