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小学生への指導

〜悩み多き試行錯誤〜

Hitoshi Takano Dec/2023

 最近、地元のかるた会の練習にお世話になっているので、小学生や中学生と練習する機会が多い。 特に小学生との練習では、指導の要素が大きい。
 私は、大学かるた会の出身者なので、今までの指導も大学からかるたを始めた大学生への指導であったので、動機付けもアドバイスの意味も会話の中で通じている。 そして、アドバイスについて最終的に受け入れる入れないの判断も、その結果責任の受け入れも自分自身でできる。
 また、大学へ繋がっている一貫教育の中高のかるた部への練習・指導も、基本は部の中で身についているし、部活動への参加という動機付けもそれなりにはっきりしている。 中学生への指導でのポイントとなったのは、成長過程にある身体の発達を考慮に入れた指導である。
 中学生だと、まだまだ身長も伸びるし、大人の身体への過渡期にある。フォームは、成長と共に変わらざるをえない。 背が低いうちは、敵陣が届かなかったり、無理をしないと敵陣の札を攻められなかったりする。自陣の払いでさえ、87cmの幅が広く感じているようなケースもある。 こういう場合のアドバイスは難しいが、「今は競技線内は広く感じるかもしれない。でも、身長が伸びたら、競技線内が丁度良くなるし、場合によっては窮屈になるかもしれない。 さらに、敵陣の取りやすさが変ってくる。」ということを説明し、その前提で、「今は、現状優先で考えれば、攻めと守りのバランスで守りに重点をおいて考えるのもわるくない。 ただし、将来、身長が伸びた時は、攻守のバランスでは攻めを考えるということが重要になる。」ということを言っておく。
 これは、聞いている方にどの程度伝わるかはわからない。実際に身長が伸びた時に、自分で取りやすくなったと感じて、あのときのアドバイスはこういうことだったのかと 自分自身の腑に落としてくれないと伝わったことにならない。人によっては、受けたアドバイス自体を忘れていることだろう。
 なかには、身長が伸びたのにも関わらず、身長の低い時のフォームのままで取っているようなケースもある。 これは、指導する側が気づいて、アドバイスしてあげなくてはならないだろう。

 さて、中学生でさえ、こういうケースがある。まして小学生、特に低学年の子は、まだまだ身長が伸び続ける期間で、フォームや取り(払い)については、 マイナーチェンジを繰り返していかなければならない。指導する側の注意力も問われる状況なのである。

 身長問題に関して言えば、私の結論から言うと、身長が充分出ない状況においては、不自然なフォームにせず、自然なフォームで、 取れる範囲で札を取るように指導するということになる。敵陣が届かないのに、敢えて攻めろとは言わない。自然に取れる範囲で札を減らしていけばよい。 攻撃理論や理想論よりも、現状をいかに有効に活用するかということを重視する。
 リードしている場面から、届かずに攻めきれないで、相手に守りで札を減らされていく中から、勝つためには敵陣を取ることが重要なんだということを実戦から学ぶことが 大切なのである。自分で気づいたことは人に言われたことよりもはるかに自身の財産になる。

 実は、小学生の指導について、身長問題よりもやっかいな問題がある。
 礼儀作法問題とモチベーション問題である。
 礼儀作法に関しては、個性の違いもあるのだろうが、大人しくきちんと静かにしっかりとできる子もいれば、大きな声をだし、走り回って、注意力散漫な子もいる。
 繰り返し注意するしかない。周りに迷惑がかかるからという理屈は説明の中にははいるが、当人たちにとってこの感覚は薄いようだ。まだまだ、自分がどう感じるかが 思考のメインをしめているようだ。自分がされて嫌だから、自分も人にするのは良くないという意識にいたるまでには、 まだまだ時間がかかりそうな小学校低学年生は多い。
 頭ごなしに「うるさい!静かにしろ!」と怒鳴られた世代の人間ではあるが、現代ではそういうご時世ではない。 ひたすら、冷静に「○○さん、大きな声ださないで、走り回らないで、静かにして」と繰り返すしかない。
 礼儀作法を教えるのもかるたの指導と言えばそうなのだが、正直、これは、競技経験の長さも競技論の深さも関係のない別次元の指導ということになるだろう。

 モチベーション問題は、子供に限ったことでなく、大人には大人の、大学生には大学生の、高校生には高校生の、中学生には中学生の問題がある。
大人は、仕事や家庭環境などとの折り合いだったり、大学生は就職活動や勉学とサークル活動の両立問題だったり、サークル内の人間関係だったり、競技かるたをする モチベーションのあり方は様々である。
 高校生の部活でのモチベーション問題は、特に団体戦の強豪校などで起きることがあるが、勝利への希求心だったり、仲間とともに楽しむ部活動の意義だったりで、 部員内の考え方の違いによって起こることが多いように思う。これは、大学のサークルでも、勝ちたい人たちと楽しみたい人たちの考えの相違で起こりうる。 勝利を求めることと楽しむことに基本的に齟齬はないはずなのだが、勝利を得るために苦しんでも勝利を得た時の達成感を感じるという楽しみを求めるか、 競技自体を楽しみたいとか部活の仲間と楽しむためのツールとしての競技ととらえるかなどにより、相当意見が割れてしまうようだ。
 強豪校の選手には、高校時代に勝つために厳しかったから、大学に入ってまでかるたを続けたくないという人もいたし、燃え尽き症候群のように優勝後は部活に 行きたくなくなってしまった人もいる。一方、高校時代に結果を出せなかったことが、大学でかるたを続ける動機になっている人もいる。
 中学生には中学生の動機付けの問題もあろうが、一貫教育校で高校受験のない学校はともかく、高校受験でモチベーションに変化がでるケースも多いと思う。 私の知り合いでは、中学ではかるたが面白かったが、高校では違う分野のスポーツや競技をやって、また違う経験で面白さを感じてみたいという人もいた。
 小学生も低学年と高学年では異なるのだろうが、自らが競技自体を「楽しい」「面白い」と感じている子もいれば、 なんとなく友だちとわいわいやっているのが心地よいという感じで、競技というよりも「場」を求めているように感じる子もいる。
 強くなりたいから負けてもいいから強い人と取りたいという子もいれば、勝てる相手とやって勝ちたいという子もいる。
 子供たちの競技かるたに対しての動機付けも様々であるのだろう。
 私自身は、子供たちの動機付けのあり方をどうこう言うつうもりはないが、ただ心がけたいのは「かるたは楽しい」という思いを持ってもらいたいということである。 こうなると指導方針といえるのかどうかもわからないが、「かるたは面白くない」「つまらない」と思わせないように注意しながら、指導するように心がけている。
 小学2年生や3年生でも、質問をしてくればいくらでも回答する。子供にもわかりやすい言葉で答える。でも、無理じいはしない。
 もちろん、その試合で良かった点は褒める。
 動機付けがよくわからない子供たちに「楽しい」を感じてもらうということは、いかに難しいことか。 練習にいくたびに感じている。常にその点に悩み、試行錯誤を繰り返している。

 いつの日か、小学生を指導するための方法論をまとめることができればよいとは思うが、なかなか遠い道のりであると感じている。
 まずは、小学生の対戦相手一人一人にしっかりと向き合って、相手を個々に見極めながら練習するとしよう。


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