新 TOPIC

Good Loser

〜敗戦の作法〜

Hitoshi Takano Nov/2023

“Be a hard fighter and a good loser.”
 将棋の世界で藤井聡太七冠が、永瀬拓矢王座に勝利し、タイトル八冠独占をしたニュースを見ていて、ふとこの言葉がよぎった。
 「果敢なる闘士たれ、潔よき敗者たれ。」と訳すようだが、後半のほうは、私の中では「良き敗者たれ」という訳で心に刻まれている。
 将棋のプロ棋士は、負けを悟り「投了」を告げる前に、心を落ち着かせ「負けました」の声がかすれないように、水やお茶で喉を湿らせるという。
 何手先も読み切るから、自分が相手に詰ませられてしまうと分かれば、潔く投了する。したがって、一手詰みの局面まで指すことは、まずないそうだ。 (指したケースはもちろんあるようだが。)
 また、形作りといって、一手違いの場面まで、指してから投了することもあるようだ。
 ひとつの作法なのだろう。
 とはいえ、勝負は下駄をはくまでわからないというように、相手の形づくりの間に絶対優勢なほうが、とんでもないミスをして逆転を許すということもあるようだから、 一筋縄ではいかない世界である。
 囲碁の世界でも、最後まで打って「何目勝ち」「何目負け」というところまではいかずに、不利な方が負けを悟って「投了」を告げることがある。 「中押し勝ち」というのが、相手の投了による勝利となる。
 将棋や囲碁には「考慮時間」、いわゆる「持ち時間」というのがあり、時間切れでの負けということも起こる。また、反則負けもある世界である。 将棋の世界では「二歩」などが有名だし、「二手指し」(二手連続で指す)というのも反則である。
 若干のイレギュラーなケースはあるが、一般的には負けを悟ったほうが、「負けました」といって「投了」するというのが、将棋・囲碁の世界である。

 競技かるたの世界では、試合途中での「投了」を見る機会は滅多にない。
 相手陣の札がなくなるまでは、試合は続くし、勝敗がはっきりわかるので、負けたほうは「負けました」ということはなく「ありがとうございました」の礼で終わる。 (もちろん、試合途中で「投了」する場合は、「負けました」とか「棄権します」と相手に「投了」の意思表示を告げる必要があるわけだが。)
 競技かるたでは、相手の最後の一枚がなくなって勝敗が決するまで試合を続ければ、大分不利な展開となり逆転は不可能と思ったとしても、 投了による「負けました」という言葉を発さなくていいのは、将棋や囲碁に比べて、同じ敗戦にしても心的ストレスは多少なりとも緩和されているのかもしれない。

 将棋や囲碁だって、相手のミスで何が起きるかわからないのであるから、一手詰みや全て打ち切るところまで続けても良いわけである。 しかし、一流棋士たちは、詰み筋が見え、目算ができるわけで、自分の負けを見切っている状態で、相手のミスという僥倖を待って指し(打ち)続けることをよしとはせずに、 潔く「投了」するわけである。

 「最大限、勝利に向かって果敢に闘う」という戦いの大原則や「あきらめたらそれで終わり」という勝負の鉄則からすると、 相手のミスを待つというのも立派な戦い方であるとも言えるが、将棋や囲碁のプロ棋士たちは、自分の負けが見えたら、相手が間違えることはないと相手の実力を信頼しているからこそ、 「投了」するのである。

 なぜ、競技かるたでは、「投了」はほとんどなく、決着がつくまで試合を続行するのか。
 それは、競技の質が、将棋や囲碁とは異なるからにほかならない。
 たとえ、自陣に25枚の札が残り、相手が残り1枚になったとしても、理論上は相手が1枚を取る間に25枚を相手より早く取れば勝利できる競技だからである。 相手がお手つきなどのミスをする、相手が出札から離れたところを払うというようなミスをするというような可能性はあり、それを望んでしまう心があるにしても、 すべてきっちり、25枚を相手より早く取れば勝てるのだから、「投了」はそのチャンスを奪う行為なのである。
 「ミスを望んでしまう」と書いたが、競技かるたにおいては、相手にお手つきなどの「ミス」を誘うというのも立派な技術なのであり、 それによってお手つきなどの「ミス」をすることは相手の自己責任であり、負けている側が潔くないわけではないのである。
 「最大限、勝利に向かって果敢に闘う」という戦いの大原則や「あきらめたらそれで終わり」という勝負の鉄則を貫いて、絶対的不利と言われる状況で、 相手のミスという僥倖を待って云々という気づかい不要の競技が競技かるたなのである。
 むしろ、負けを悟って、試合途中で「負けました」と投了してしまうほうが、番勝負などの例外を除いては、敢闘精神が足りないと批判を受けてしまうのではないだろうか。
 競技かるたにおいては、試合途中での「投了」は、きわめて例外的な行為なのである。

 残念ながら、いかに頑張ろうが、刀折れ矢尽きてしまい、相手の軍門に下るという場面はある。 「良き敗者たれ」の精神からいえば、勝敗が決した後は、勝者を称え、次に向けて自分の課題を見つめなおせばよい。
 とはいえ、競技かるた歴も45年目をむかえ、小学生や中学生の初心者から初級者の相手をする機会も増えてきた身としては、 “Good loser”は、勝敗後の姿勢だけではないように感じている今日この頃なのである。
 それは、「最大限、勝利に向かって果敢に闘う」という点と「あきらめたらそれで終わり」という点とにおいて、そう努力はしたものの結果として敗者となってしまった時に、 “Good loser”であるためには、将棋界の形づくりとは異なるもののやはり一つの「作法」にのっとって戦うべきではないかと感じているのだ。

 大差でリードされ、なんとか逆転につなげようと、若いころは様々な粘り方をしたものだった。
 その事例は、このWEB-SITE群の中にあるが、「物真似厳禁」で書いたことであるし、その後も同様にWEB-SITEで 「序盤で大差をつけられたら」で、考え方を紹介したことでもある。
 また、自戒の意味を込めて書いた「札を動かしたい衝動に襲われる時」で、以前の事例からの変化を記したものも参考になるであろう。

 大差となり、敗戦の可能性が高くなったことを理解しつつ、「あきらめず」に「最大限の努力」をする「作法」を自分なりに考えてみたのが、次の各要素である。

1)札の移動は必要最小限にする
 上記の「物真似厳禁」で書いた方法は、大差がついたある時点で、一気に札のフォーメーションを変える方法である。 厳密にいえば競技規程に違反しているわけではないが、ガイドライン的には大量の札移動はよろしくないこととになっている。 押されてきて差がつき始めると、打開策として上記の「札を動かしたい衝動に襲われる」わけだが、それでも必要最小限に留めるのが作法だと思う。 大量の札移動は、自分自身の暗記がついていかないことも多々あるので、動かすとしても暗記がついていく範囲内で少しずつといったところだろう。
2)普段の取りと異なるかるたをしない
 上記の「物真似厳禁」で書いた内容は、普段の取りとは違う取りのスタイルとなってしまう。 普段からそのスタイルで練習しているならばともかく、大差がついた時の緊急避難的な取りである場合は、決して効果的とはいえない点が生じる。 札の移動にもかかわることだが、移動も最小限とし、普段の攻撃・守備のスタイルの延長線上での大差対策としたほうが、身体が覚えていてくれる取りができる可能性が高い。 私の上段中央部は、「物真似厳禁」の伝統芸能から派生したものの、定位置として定着し、普段の取りのスタイルに組み込まれてしまって、 いまや、大差がついた時の対策ではなくなっている。普段の取りと変わらないからこそ、大差がついてもそれなりに上段中央部で札が取れる。 暗記にしても、普段どおりというのが、一番効果的に暗記できる。大差がついても、平常心を心がけて、普段どおりの取りをめざそう。
3)無理筋の主張(「もめ」)をしない
 大差がついて、一生懸命に挽回にむけて、様々な手段をとると、微妙な取りの時に「もめ」が生じがちである。 この微妙な取りは、差をつけられているほうの自陣の取りにおいて生じやすい。枚数差からも確率論的に対象札が自陣にあるということであるし、 相手陣においては、自身は守っていて敵陣へ出遅れることが多いので、相手のスピードに及ばないことになりがちだし、自身が守りよりも攻めを重視して実践するときは、 相手も攻めてきているので、案外はっきりと攻め抜くことができるため、あまりもめないのである。。 しかし、差をつけられているほうの自陣においては、相手には攻めの勢いがあるので、守勢に回ってしまってはいるが、距離的に近いという利点を持つ自身の取りとの間で、 微妙な取りが生じやすい。自分自身が「セーム」と感じている場合は、勢いのある分だけ、相手が若干はやいというケースとみなされがちだと思っていた方がよいくらいである。 論理的に説明し、相手を説得するのもよいが、主張していて自身の主張が「無理筋」と思ったら、すぐに引いたほうがよい。 「もめ」を引きずるとそのあとの暗記や取りに悪影響を及ぼす場合が多い。 大差で負けていても、主張においては心に余裕を持つくらいでないと逆転は難しい。
4)相手に敬意を払う
 これは、大差で負けてなくとも大事なことであるが、大差がついて守勢にたつとついつい自己本位になりがちである。 余裕がないからであるが、自己本位になると上記の3)のような「無理筋」の主張をしてしまいがちで、相手の主張の論点を受け入れがたくなってしまう。 相手に対する敬意を忘れなければ、相手の論点を聞いて、落ち着いて判断ができる。相手への敬意を確認することで自分を落ち着かせることができれば、 その後の試合展開にも落ち着いて臨むことができる。相手が早く決めたいと気がせいていれば、自身の落ち着きは逆転への糸口にもなる。
 特に自分より格下だと思っている相手にある程度の差をつけられると相手に敬意を払うのを忘れがちになってしまう。 ゆめゆめ「敬意」を忘れてはならない。そもそも対戦相手がいなければ、競技として成立しないのであるから、「対戦してくれてありがとう」の気持ちを大事にしてほしい。

 以上、敗勢になったときの、私なりの「作法」を書いてみた。
 「作法」にのっとったからといって、決して“Hard fighter”でなくなったわけではない。
 「作法」にのっとって、「1枚ずつ」減らすことを心がけ、その結果として逆転できればよいし、武運拙く敗者となったとしても“Good loser”であることができるだろう。
 この文章を目にする機会があったら、ぜひ、自分なりに“Good loser”とは何かを考えてほしい。勝者の数だけ敗者がいるのが、競技かるたの世界なのだから。


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