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港区伝統文化交流館

〜ネーミングの妙〜

Hitoshi Takano Jun/2024

 慶應かるた会の練習場所のひとつに港区伝統文化交流館がある。
 港区の施設ということで、区内に大学がある大学の団体ということと活動内容が「伝統文化」に関することということで、利用させていただいている。
 もともとは、いわゆる芝浦花柳界の見番であった建物である。都内に残る木造建築としても古いもので、リニューアルされてはいるが風情のある佇まいである。
 競技かるたは、明治37年にルール化されたことにそのルーツがあるので、伝統文化という枠組みでは新しいものといえるが、 「かるた」というポルトガル語由来の名称は戦国時代の南蛮貿易の産物であり、いわゆる歌がるたの流行は江戸時代にさかのぼる。 歌がるたとなって、使用された小倉百人一首は鎌倉時代の撰であり、選ばれた和歌でもっとも古いものは7世紀の和歌である。
 こう考えれば、胸を張って、伝統文化の活動と言える。
 利用にあたっては、交流館の趣旨に適合しているということで、月の利用日数とか利用時間とかには決められた条件はあるのだが、活動上の便宜をはかっていただいており、非常に感謝している。

 私も、昨年からここでの練習に参加させていただき、5月の練習で4回目の参加となった。
 私の同期のYA君も参加するようになり、40歳以上年齢の離れた後輩たちとの競技を通じた交流を行うことができ、建物の名称のとおり「交流」の実をあげている。
 私とYA君が大学で競技を始めた頃は、上段中央に札を置く先輩も多く、私たちもそういう定位置となっていった。私たちの後輩も先輩の影響を受け同様の上段中央の使い手が多くいた。 永世名人になったTT君も上段中央の使い手だった。上段中央の札を「浮き札」と呼ぶのが主流になっているが、地に足をつけた定位置の札である。
 さて、昭和から平成にはいると部員数は減少傾向にあり、そのころに指導にあたっていたYM君(後の名人)は、高校からの経験者で上段中央に札は置かずに左右にきれいにわける定位置だった。
 当然、そのころの後輩たちは、YM君のスタイルを継承する。こうして、昭和の上段使いの伝統は途切れてしまう。
 そして令和の世になって、伝統文化交流館で、昭和の上段使いという伝統を受け継いだ私とYA君が、現役の学生たちと競技を行う。
 そこに単なる「交流」だけではなく、慶應かるた会の昭和の「伝統」との交流がうまれる。より、建物名称の意義を具現化しているのだと感じる。
 「伝統文化」の「文化」は、どうなんですか?という声もでそうなので、あえて解説すれば、上段中央を定位置にしたかるたの取り方は、一つの「技芸」であると考えている。
 「技芸」と書いたが、技術は芸術に昇華する。技は芸である。そして「芸」は文化となる。こう考えれば、まさに「伝統文化交流」なのである。

 先月は、大相撲夏場所があった。解説の親方は、期待する力士に対して「型」をもてということを良く言っている。
 YA君にしても私にしても、40年以上取り続けている選手としては、それぞれに「型」がある。
 「型」を感じる選手の取りには、「様式美」さえ感じる。 現代のかるた理論との関係性において、いろいろいう人はいるかもしれないが、自身の個性や年齢に伴う体力・体調等の変化に応じて、磨き上げてきた「型」である。 この「磨き上げた」という過程に「美しさ」が潜むのである。
 この伝統文化交流館での練習で、卒業生たちの「型」というものを、現役の選手にも意識して感じてもらいたいと思う。
 私自身も、対戦する現役学生の取りから、自分の型を用いた対策などを考えることを楽しみに練習に参加させてもらっている。

 「伝統文化交流館」。いい名前だ!


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