新 TOPIC
練習にて
〜小学生とベテラン〜
Hitoshi Takano Aug/2024
競技かるたの練習は、普段練習している相手や場所だとわりと淡々としたものになりがちだ。
淡々としていたとしても、一期一会の対戦であるのだから、そのことは肝に銘じておきたいとは思っている。
とはいえ、やはり「淡々」と感じた時は、日々の練習の中の日常の一風景なのである。
そんな中、最近の練習で、「!」と感じたことがある。
それは、初心者から初級者へステップをあがりかけた小学生の練習で感じたことである。
その小学生は、初めて競技かるたスタイルで「決まり字」付きの札で練習することになったまったくの初心者と取ることになった。
対戦相手は、練習会に参加している他の小学生の母親である。
子供たちの練習を見に来ているので、まったくの初心者とはいえ、見よう見まねの範囲での知識はある。
最初に札を並べると、なんとその小学生は「一次決まり」は下段に置いたほうがよいとしっかりと指導するではないか。
私は、読手をしていたのだが、試合をとおして、「払い」とか「お手つき」とか、小学生が一生懸命説明し、教えているのである。
特に説明もせず、自分が勝てそうな相手が来たと、ボコボコにするのかなと思っていた私は、自分の見識の無さを大いに反省した。
その小学生からは、相手に対する「優しさ」が伝わってきたし、それとともに自分が他人に教えることで自分自身の向上に繋がるということが思い起こされた。
「優しさ」は伝わったが、対戦結果は小学生の17枚差の勝ちとなり、「厳しさ」も同時に伝えることになった。
私と接する時は、人見知りをするのか、年配の男性がこわいのか、距離がおかれているような感じがするので、この小学生のホスピタリティには驚いた。
これから練習を続けていけば、きっと良い選手に成長するのだろうなと思った。
もう一つは、また別の小学生の練習での話である。
こちらは、初級者といって良いレベルで、得意札については、敵陣・自陣ともに綺麗に速く払って取ることができる。
身体の使い方がうまく、柔軟で払いにセンスを感じる。
以前から、お手つきなどの様子から、集中力のムラを感じていたのだが、原因のひとつは、前の試合の暗記(記憶)が消せないことにあったようだ。
覚えることもたいへんだが、忘れるということもたいへんである。前の試合で集中して覚えていた分、次の試合で暗記が残ってしまう。
次の試合でも集中して覚えて、上書きすればよいとか簡単にいうことがあるが、そう簡単にはいかない。暗記が重層化してしまうことがおこりうる。
暗記に比べて、忘れる作業のほうが難しい。
私の場合、視野の中に多くの札を含むようにすることで、現在の試合では前の試合にあった札がないということを認識するという手段を取ることがある。
そんな自分の経験からアドバイスしてみようかなと思っていたら、その小学生が自分なりに工夫をしていたので驚いた。
2試合目、序盤で前の試合の暗記でお手つきをしたみたいで、差がつき始めていた。この時も、私は読手をしていた。
しばらく読み進めると、札の配置を変え始めていた。左右によせてわけるのではなく、上段と中段は札と札との間を一枚分くらいあけて、中央にも札を置き始めたのだ。
中央にも札が並ぶことで、視野に多くの札が入るスタイルだ。
目に入ることを考えてそうしたのか、左右に寄せてくっつけるのではなく、離して置くことで、前の試合とは違うということを視覚的に認識させようとしたのかは不明だが、
自分なりにどうにかしないといけないという工夫だったのだろう。
実は、私もかるたを始めて2年目くらいのときに、序盤で差をつけられて、守って粘ろうと同じようなことをしたことがある。
その時、私は大学生だったが、実は、小学生と同じようなことをしていたのかと愕然とした。始めて2年目ということをみれば、そこは同じなのであるが、、、
結局、その小学生から理由を聞くことはなかったが、自分なりに人真似ではなく考えた末の作戦だったということだろう。
自分の頭で考えて実践できるという点で、今後の成長が期待できると思った。
ちなみに、その後、同様の作戦はみていない。結構な差をつけられて負けていたことなどから、あまりうまくいかないと悟ったのかもしれない。
かくいう私も、この試みは1度試して放棄した。その後も、いろいろな試みをしてみて、紆余曲折を経て、現在のスタイルに落ち着いている。
最後に、ベテランの練習から話題を取り上げたい。
私は、今年度にはいって、背中を5cmほど切って患部を切除し傷を縫合する手術を2度受けた。
当然、かるたもドクターストップをくらって、解禁になっても、1日1試合からリハビリをスタートして、徐々に2試合として、3試合としていった。
とはいうものの、随分前から、1日3試合上限となっている。腰や膝への負担などが原因だし、ぎっくり腰などの影響で練習できないときもあった。
この私の体たらくをよそに、私の同期のベテランは、1日5試合を平然とこなす。
この前、練習にゲストで来ていたこれまたベテラン選手から、「よく何試合も取れますね?」という質問を受け、その答えが、
「かるたの体力は、かるたでしか鍛えられないと思っていますから…」
というものだった。
これを聞いて、私は「すごい!」と感嘆した。
練習では、自分のスタイルがうまく機能し、調子が良く見える時もあれば、お手つきで勝手に崩れていく試合をみることもある。
不具合な試合をみると、「あれ、どうしたんだろう?」と思い、昔感じた相手の強さとのギャップに自分の試合でもないのに切なさを感じることさえある。
この崩れも、不具合も、おそらく自分のスタイルのかるたをその時の自分自身の状況(体力・疲労度など)の中で取りきろうとしているのではないだろうか?
競技かるたを大学1年のときに一緒に始めた同期が、いまでも1日に何試合も取る姿をみると、2試合くらいで「きつい、疲れた」などといっている自分が少々恥ずかしくなる。
だからといって、私が今1日に何本も取るというのは考えられないのだが、、、
競技かるたを始めて、6000試合以上をこなしている同期の練習数に対して、私は4000試合はこえてはいるものの2000試合以上の差がついている。
年齢を重ねると、経験値というアドバンテージはあったとしても、様々な点での衰えはいかんともしがたい部分はある。
そこにどう対処するか、方法論は人それぞれかもしれないが、まあ、自分には自分にできることを精一杯やるしかない。
今回は、小学生とキャリア40年以上のベテラン選手について取り上げたが、その年齢差の間には、様々な年齢、キャリアの選手がいる。
練習で多くの選手と出会って対戦をするわけだが、きっとこれからも日常の練習の中でいろいろな世代・キャリアの選手との試合から、いろいろなことを感じることができるだろう。
淡々と感じる日常の中に、また、新たな発見をしたいと願って、日々の練習に足を運ぶとしよう。
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