新 TOPIC
初顔合わせ
〜年度別記録〜
Hitoshi Takano Jul/2025
私の同期で対戦記録をしっかりと残している選手がいる。
この間、練習帰りに話をしていたら、対戦相手が1000人を越えたという。私はといえば、この稿を書いている時点で864人である。
対戦総数は、私が4350戦を越えたところなのに対し、6900戦を越えたというのであるから、この差も歴然である。
とはいえ、対戦数の差と比較すると対戦相手の人数差に関しては、善戦しているという見方もできるかもしれない。
この話の時に、年度単位での「初顔合わせ」の人数が、競技を始めた1979年度の人数を昨年度(2024年度)が上回ったということを聞いた。
競技を始めた年度は、それなりの対戦数があれば、「初顔合わせ」が多いのは当然である。
私も、その話に興味を持って自分の「初顔合わせ」記録を調べてみた。
ただ、私の場合、初年度の練習量は同期の半分以下であるので、むしろ、熱心に練習するようになって、自会だけでなく出稽古にもいくようになった2年目以降にピークがあるかとの予測はできた。
数が多い年度順に見てみよう。
順位 |
年度 |
初顔数 |
1 |
1982年度 |
60 |
2 |
1981年度 |
47 |
2 |
1985年度 |
47 |
4 |
1980年度 |
44 |
5 |
2023年度 |
40 |
6 |
1979年度 |
38 |
6 |
1984年度 |
38 |
8 |
1987年度 |
35 |
9 |
1986年度 |
33 |
10 |
2024年度 |
32 |
30人以上の年度をピックアップしたら、奇しくもそれが「ベスト10」になったし、40人以上が「ベスト5」となった。
ちなみに「次点」は、2016年度の「27人」である。
初年度に練習量の少なかったということによる予測は、あたったわけだ。初年度は、4月開始で12月までの9か月で90試合。
1月から3月の3か月で74試合と最終四半期で追い込みをかけた年度であった。その後、1987年度まで83年度を除いて8つの年度が「ベスト10」入りしている。
最高は、1982年度の「60人」。大学の最終学年の年度である。
就職活動に加え、卒業論文など、慌ただしい生活の中、
練習量を確保しようとそれまでに形成した人脈を駆使して出稽古に励んだのと大会への参加を心がけたのが数字にあらわれたと言えるだろう。
1983年度は「23人」で圏外となったが、これは就職1年目で、生活環境の変化によるものが大きい。
それでも、仕事の合間を縫って次会の練習と出稽古で練習量を確保しようとした時期であった。
その後は、仕事が忙しくなり、家庭を持つなど、様々な環境の変化で、練習量も減り、初顔合わせの数も減少していった。
そんな中、突然2023年度と2024年度が「ベスト10」に登場する。定年退職前の1年と定年退職後の1年である。
仕事という要因の変化や家庭環境の変化にともない、時間的都合がつくようになったことと、
地元に近いところで開催されていた練習会に定期的にお邪魔することになった練習環境の変化が要因である。
次点の2016年度は、自会の練習への参加による新入生との対戦数の増加による数字である。
「ちはやふる」ブームもあって、新入生の入会が多かったからである。
その後、入会者がさらにふえて、練習会場が手狭になり、現役の練習への参加をセーブするようになったため、初顔の数が伸びなくなった。
追い打ちをかけたのが「コロナ禍」である。
練習の中止期間があり、再開後も人数制限、予約制などの規制があり、現役との顔つなぎができなくなったため、自会の新入生との対戦による「初顔合わせ」は激減した。
先月、日吉キャンパスの和室の練習に参加したが、2018年秋以来の7年ぶりということになった。
私の2023年度・2024年度の初顔人数の増加の理由と、私の同期が昨年度に「初顔合わせ」の数が増加し、初年度を越えたという事象には類似した理由があるだろう。
仕事における定年という区切りによる時間的制約の緩和と新たな練習環境への参加という側面である。
同期が、私が主体的に関わっている練習会に移動距離を越えて参加してくれるようになったことは、お互いにとってよい練習環境の確保ということに結びついていると思っている。
競技かるたには「定年」はない。記録上の「ベスト10」の更新には届かなくても、一歩一歩、地道に歩をすすめていく競技人生でありたいと思う。
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