実験の背景
Hitoshi Takano Mar/2002
平成14年1月に発売の某青年漫画雑誌の増刊号に、競技かるたを題材にした漫画が掲載された。公募された原作の中で準入選した作品だった。私のかるた会の後輩が、ストーリー漫画のサークルの同人誌に競技かるた漫画を描いたことはあるが、こうした一般誌でお目にかかるのは珍しい。最近では、「月下の棋士」という将棋漫画や、「ヒカルの碁」という囲碁漫画が一般誌に掲載され、競技人口の普及に影響を与えているようだ。是非、競技かるた漫画も連載されればよいと思う。しかしながら、ここに紹介した将棋漫画や囲碁漫画には、それぞれプロ棋士が監修についている。今回の作品も絵の描き方が4段並べであったことなどの競技者であれば間違えないような点にも気づいたが、連載ということになると然るべき競技経験者が監修につけば、このような問題は解決するであろう。
さて、私には漫画は描けないが、「実験かるた小説」なるものを書いている。興味のある方は是非、以下のURLから読んでいただきたい。
では、何故「実験」なのか?
ひとつには、物書きの素人が初めて小説を書くので、「かるた小説」とか「本格かるた小説」と名乗るのはおこがましい感じがしているからである。「札模様」では、小説を読むことで、競技かるたのルール、試合の風景、大学かるた会の活動や競技かるた界などを読者に知ってもらえるかという実験が試みられたと思っていただきたい。
そして、「む・す・め…」では、読者が小説を読むことで登場人物と一緒に百人一首の札の覚え方をマスターできるかという実験なのである。これは短編にするつもりだったのだが、札の覚え方以外のストーリーを膨らませていったら、いつのまにか114枚になってしまった。
「札模様」では、自分自身の「想い出」とこういうことがあったらいいなという「望み」が、さまざまな形で登場する。この「望み」もある意味で「実験」の提案なのである。
たとえば、「かるたとり」を題材にした歌のレコード化とか、海外普及、青い目の選手の登場などである。そして、私と同時代を過ごしたかるた会のOBたちは、こころあたりのあるキャラクターの登場に若き日を思い出してくれるのではないだろうか。
団体戦の記述では、最低勝利数での優勝などを実験的に表現してみた。そして、団体戦で複数の運命戦が出た時の思考や作戦なども実験的な記述なのである。小説を書いて悩んだのは、リアリティーとフィクションのバランスである。逆転勝ちや最小枚数差の試合はドラマチックであるが、あまり多用するとリアリティーが薄くなるからだ。しかし、あえて、この手法も使ってみた。なぜならば、少年スポーツ漫画の世界でも、これは多用されているからである。現実にはないけど面白いのである。リアリティーに欠けたからと言って、その作品の価値が失われるわけではないのである。小説という表現手段の中での読者と作者の間の約束事の一つと思っている。(ただし、このバランスをどうとるかの匙加減が作者の力量に関わる部分なのだろう。)
最後に一言。
小説を書いてみてわかった。 「事実は小説より奇なり。」と。
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