TOPIC   "番外編"

「対戦数」の総量

〜かるた競技者の健康選手寿命〜

Hitoshi Takano MAY/2017


 高齢化社会となった昨今、「寿命」に対して「健康寿命」という言葉が語られるようになった。晩年、寝たきりで寿命をながらえるケースがあるとすれば、健康に活動できていた時期までを「健康寿命」と言う。
 「競技かるた」の選手にも、これに相当する概念があるのではないかと最近考えるようになった。自分自身が齢(よわい)を感じるようになったせいである。そのひとつは、身体能力の衰えを感じることである。
 実に「競技かるた」という競技は、身体に無理を強いるところのある競技である。若い時によく冗談で「健康のため、かるたの取りすぎに注意しましょう」などとタバコのパッケージに印刷されてあるような台詞を呟いたものだが、どうやらジョークではすまないことのようだ。

 若い時は多少は身体の無理がきく。自分の限界に挑戦しようと無理を承知でチャレンジすることもある。しかし、安全配慮の観点からすると、この無理が取り返しのつかないことになりかねないので、特に指導者は若者の無理・無茶を抑制するようにしなければならないだろう。
 たとえば、1日にぶっつづけで何試合取れるのかというテーマは誰しも挑戦したくなるテーマである。しかし、これで無理をしたがために、その後生涯にわたって、膝に水がたまりやすくなるという障害に悩まされることになった選手もいる。
 他の競技などでは、練習のし過ぎで疲労骨折になってしまったというケースもある。これは、競技者個人の問題だけではなく、コーチや監督といった指導者も責められるべき問題であるように考える。
 1日に取る試合数は、スポーツ医学的見地から上限を設けるべきなのである。
 同じように1週間で取る試合数も、1ヶ月で取る試合数も、1年で取る試合数も上限を定めるべきだると考える。
 昨年末に問題視され話題となった電通の過労死問題ではないが、労働の在り方としての残務時間の上限が、1日、1週、1ヶ月、1年で定められるように競技者(選手)の健康を損ねないように適切な試合数を設けるべきであるように思うのである。

 具体的には、どうであろうか?。
   1日は6試合を提案したい。大会ならば、トーナメントなら64人を超えた場合は2ブロックにわけるか、二日制にする運用が望まれる。
 1週間の上限は、休養日を設けることを考えて、6試合×5日もしくは5試合×6日見当で30試合でどうだろうか。これでも多いように感じる。
 1週間30試合で多いと考えるならば、それは1ヶ月の上限で調整し、身体を休養させなければならない。週30試合を4週で120試合などと考えてはいけない。その3分の2の80試合が限界だろう。それでも、相当な負担になるはずである。80試合×3ヶ月なら240試合だが、これも身体のためにはいかがなものかと考える。根拠は薄いが、3ヶ月なら160試合という上限でどうだろうか。
 そうすると1年で160試合×4で640試合が上限だろうか。私の後輩で学生時代に1年間でほぼこの数字を叩き出した選手がいたことは確かである。それで身体を壊したわけではなかったので、若いうちであれば上限設定には妥当な数字なのかもしれない。とはいうものの感覚的には、いくら若くても1年間で600試合以内に抑えておくくらいが無理のないところなのではないかと思う。1年間12ヶ月で、一月に平均すれば、月50試合の見当である。感覚的に月50試合は妥当なところだと思う。

 若者の無理・無茶は、この上限規制で抑えられると思うが、仕事や家庭を持ちながら競技をする選手は実際なかなかこのような量的に豊富な練習を確保するのは難しい。さらに、加齢による体力や運動能力の低下もある。質的に充実した練習にシフトを変えなければ、身体は悲鳴をあげる。無理を強いているところから崩壊が始まる。
 膝、腰、足首、頸肩腕などなど。さらには突き指が癖になってしまって、指がまがってしまって固まってしまうようなケースもあるだろう。

 「健康寿命」の話を冒頭でしたが、同じように「健康選手寿命」というものがあるのではないかというのが私の仮説である。
 年齢もさることながら、どちらかというと通算の対戦数にもあるのではないかと考える。以前、「”ツキ”の総量」ということを書いたが、同じように選手それぞれに「”対戦数”の総量」が決まっているのではないかと思うのだ。この「”対戦数”の総量」が「健康選手寿命」と密接に関わっているという仮説なのである。
 身体の負担を自分なりにメンテナンスしながら、競技を続けても、個人差はもちろんあるが、感覚的には通算5000試合を超えると、スポーツ外来などの医療機関にしっかりお世話にならなければならないような相当にヘビーな「競技由来の疾患」が身体を襲ってくるように感じる。試合数のみならず、年齢的なタイミングも相乗効果的な負担を身体に与えることもある。
 もちろん、身体のメンテナンスなどもまめに行い、休息も適宜取りながら競技を行う選手はもっと通算の対戦数は多いかもしれない。逆にメンテナンスをしないケースや、体重の増加を放置していて膝などに負担をかけた場合は、通算の対戦数はもっと少ないかもしれない。しかし、「 健康的に競技ができる対戦数の総量は、ざっくりと5000試合くらいである」 という私の仮説は頭の片隅に入れておいていただきたい。
 もしも、私の仮説のように身体に大きな影響を及ぼす限られた試合数があるとすれば、競技者にとって一試合・一試合はあだや疎かにはできないはずであるのだから。

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参考 : 慶應職員かるた会(任意団体)のリスク説明事例       説明責任

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