愛国百人一首
高山彦九郎
我を我としろしめすかやすべらぎの
玉のみ声のかかる嬉しさ
<愛国百人一首における決まり字>
ワレ(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ワ音3枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
「すべらぎ」は接頭語「すべら」(古語)の転。「統べ」である。「すべらぎ」というと、
「統べる君」の意味である。「しろしめす」は。お知りになっているということで、知らす
の敬語である。「知食す」と書く。「玉のみ声」は玉音であり、天皇の声のこと。
わたくし高山彦九郎を一人の人間としてご認識くだされ、天皇のお言葉まで賜りますとは
嬉しいことです。
こんな平易な訳では、実感はでないかもしれない。寛政3年、彦九郎45歳のおりの春、
光格天皇を拝する機会を得た折りの感激を詠んだ歌である。
なぜ、彦九郎が天皇を拝する機会をえたのであろうか。徳富蘇峰の「近世日本国民史」に次の
記事がある。
「寛政三年春近江国高島郡の漁師が湖水で緑毛亀を生け捕った。彦九郎も之を衆と共に
一見し、知人志水南崖をして飼養せしめ、清原宣條等の公卿を経て叡覧に呈した、亀に
毛あるは文治の瑞兆なる故である。之によって匹夫彦九郎は、窃に天顔を拝するを得た。」
<コメント>
高山正之といい、彦九郎は通称。上野国新田の人である。勤皇の志篤く、国史をひもとい
ては皇室の式微を慨いたという。天下を周遊して、勤皇を説き、忠孝仁義の士をもとめて
交流した。藤田東湖の父幽谷とも交流があった。
祖母が死んだときは、三年間、墓側で喪に服したという。
至孝至忠の人であった。京都に赴くたびにまず三条の橋のたもとで跪いて、皇居を遙拝した
という。幕府の監視の目もきびしく、一朝、志のならざるを慨し、寛政5年九州久留米で
憂憤のうちに自刃する。
奇行が多く、蒲生君平と林
子平とともに寛政の三奇人と呼ばれる。
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2008年5月24日 HITOSHI TAKANO