愛国百人一首
林 子平
千代ふりし書もしるさず海の國の
まもりの道は我ひとり見き
<愛国百人一首における決まり字>
チヨフ(3字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
チ音4枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
古来から書は多いが、それらの書に記されたことは無かった。海の国日本の防衛策は、わたし
林子平がただひとりはじめて洞見したのだ。
すごい自負である。大したものである。さすが海国兵談を著しただけのことはある。
<コメント>
林子平は、寛政三奇人(高山彦九郎、蒲生君平)の一人。六無斎と号す。諸国を歴遊し、長崎にて
オランダ人より海外の事情を聞く。天明5年に三国通覧図説、天明6年に海国兵談を刊行するも、
幕府より御政道への口出しを咎められ、発禁処分、版木没収処分。蟄居を命ぜられる。寛政五年没。
享年56。
寛政の改革の老中は松平定信(田安宗武の七男)であるが、林子平の先見を幕府は活かしきれなかった。幕末の黒船の
騒動は、起こるべくして起こったのである。
六無斎の号は、「親も無し、妻無し子無し版木無し、金も無けれど死にたくも無し」という蟄居
中の心境から名乗ったとのことである。
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2008年5月18日 HITOSHI TAKANO