愛国百人一首
野村望東尼
武士のやまと心をより合はせ
ただひとすぢの大綱にせよ
<愛国百人一首における決まり字>
モノノフノヤ(6字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
モ音5枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
武士たちの国を思う大和心を離ればなれにせず、縒りあわせてただ一筋の強い大きな綱とせよ。
いわゆる志士たちの心を一本の綱とするということは、ばらばらの行動を目的のために一つに連携
しなければ大望ははたせないということを歌っているのであろう。
<コメント>
福岡藩士浦野勝幸の娘で、名はもとという。同藩士野村貞貫の後妻に入る。54歳で夫に死別し、
剃髪して望東尼と名乗る。愛国百人一首では「ぼうとうに」と読ませるが、「もとに」と記す書も
ある。
和歌を大隈言道に学ぶ。参禅のほか詠歌の日々を過ごしていたが、世情騒然とする中にあって
志士の往来が激しくなり、望東尼も憂国の志、やまれぬようになり、志士らと交流する。平野国臣や
高杉晋作を山荘にかくまい、殉国の志士の妻子に物を送って慰めるなどの活動を行い、志士の間でも
重んぜられるようになる。
藩の大獄に連坐し、謹慎処分を受け、姫島に流されるが、一年後には高杉の手で救出される。
慶應3年、62歳で病没する。
高杉を誡めた歌であるといわれ、倒幕には団結心が必要なことを説いているのだが、
多くの志士らと関わった生涯の中から、自然と実感として詠まれた歌であるように思う。
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2008年5月27日 HITOSHI TAKANO