愛国百人一首

藤原良経

昔たれかかる桜の花を植ゑて
   吉野を春の山となしけむ



<愛国百人一首における決まり字>
ムの一字決まり
<愛国百人一首における同音の数>
ム音はこの1枚のみ
<歌意・鑑賞>
 昔の誰がこのように多くの桜を植えて、吉野を春の桜の見事な名所の山としてくれたのだろうか。
 桜の花の見事さをストレートに歌に詠むだけでなく、いったい昔の誰が桜を植えたんだと考えさ せることで、昔からずっーと桜の名所であり続けたことを強調しているように思える。
<コメント>
 良経には、「よしの山花の故郷あとたえて空しき枝に春風ぞふく」という歌もある。吉野の桜に 思い入れもあったのだろう。関白兼実の子で、長兄良通の没後家を継ぐ。摂政、太政大臣となり、 後京極殿と呼ばれた。書は忠通の風を受け継ぎ、法性寺様の継承者といわれる。歌も巧みで、家隆定家とも並び称されたが、その余りに早すぎる、しかも突然の急逝は、後世に暗殺伝説を生むことに なった。

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2008年5月10日  HITOSHI TAKANO