愛国百人一首
藤原定家
曇りなきみどりの空を仰ぎても
君が八千代をまづ祈るかな
<愛国百人一首における決まり字>
クモリナキミ(6字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ク音2枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
快晴の空を仰ぎ見ると、その悠久無限の広がりのごとく、我が君の代が、八千代に栄えるよう
まずお祈りいたしております。
このように意味を書くよりも、素直に声に出して読んだほうが意味が伝わってくるであろう。
<コメント>
藤原定家は、いわずとしれた
小倉百人一首の選者である。
愛国百人一首も百人の歌人から一首ずつとるスタイルである百人一首の形式を踏襲している。
いわゆる異種百人一首といわれる小倉百人一首以外の百人一首は山ほどある。それほど日本人に
好まれたスタイルなのである。今では、百人で一首ずつでなくとも、一人一首ずつのものを百以上
集めたものでも百人一首という言い方をするものもある。なんにしても、この百人で一首ずつと
いう百人一首スタイルの元祖が藤原定家の小倉百人一首なのである。
この偉大な発明に我々は感謝しなければならないだろう。
さて、私がここで紹介している愛国
百人一首は、昭和17年の日本文学報国会の編集だが、その選定委員の一人である川田順氏が、
単独で選定し、昭和15年から昭和16年にかけて講談社の雑誌「キング」に掲載した「愛国百人一首」
というのがある。これは、日本文学報国会編の「愛国百人一首」に先駆けて、昭和16年8月に
講談社から「愛国百人一首」として刊行されている。
この川田版「愛国百人一首」だが、報国会版とはやはり多少選定基準が違っていた。時代にしても
万葉集の大葉子から始まって乃木希典までの百人なので、報国会の人麿から幕末の橘曙覧までの歌人
百人の範囲よりも時代的には広い。双方を比較すると、双方に同じ歌は28首、歌人は同じで歌が違う
ものが19首ある。
ただ、川田版には、定家は撰ばれていないのである。定家だけではない、
西行も俊成もないのである。報国会編は、時代を代表する代表的
歌人を入れる方針があったようであり、この3人も撰歌された。しかし、このことは、川田に百人一首
形式の生みの親だからだとか国民的に有名な大歌人だからという理由では撰歌しなかった確固たる基準
があったに違いない。
川田版「愛国百人一首」に敬意を表したい。
さて、川田版は、2005年に河出書房新社から、巻末エッセイと解説が加わって復刊されている。
興味のある方は書店等で探してみてほしい。きっと、ますます、この時代の何かを感じることだろう。
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2008年5月11日 HITOSHI TAKANO