続シン・後輩への手紙(I)

Hitoshi Takano   Feb/2024

かるたの世界観



前略 昨年末からいろいろなことがありましたが、H君が年末の約1か月の休息と年始からの再始動は無事にクリアしたようで何よりです。 練習会の運営の件では、お互いに気苦労することになってしまいましたが、今月からは二人で運営の戦力になれるように気持ちをあらたにのぞみましょう。
 12月を振り返ると私も気持ちと身体の疲労が蓄積し、年末にははしゃぎすぎたりもして追い打ちをかけてしまいました。年末年始の休みを経て1月からの回復という感じでしたが、 1月中旬には新型コロナに初感染してしまいました。 (幸い、インフルエンザは陰性でした。インフルエンザのワクチンは今年も打って備えていました。)
 きっと、免疫力がダウンしていたこともあるのでしょう。新型コロナのワクチンは7回打っているので、大事にはいたりませんでしたが、 発熱とのどの痛みが主な症状でした。自宅待機期間をあけると、味覚障害と嗅覚障害が残りました。 コーヒーの味がわからないという新型コロナ当初言われていた症状を体験しました。味というよりも「香り」がわからないという感じです。人によって回復期間が異なるようで、 はやくよくなって、おいしく食事を摂りたいと思っています。
 体力は年齢とともに落ちてきているので、年齢相応の過ごし方が必要ですね。無理はしないようにします。

 さて、12月、1月と競技かるたの練習をしたり、対戦をみていたりするといろいろ感じることがありました。

 一つは、自分の弱点の再確認でした。
 比喩表現になりますが、自分のかるたは「小太刀」使いというイメージです。
 普通の日本刀の「太刀」のようなかるたの相手や「槍」使いの相手には、ショートレンジの範囲での戦いで有利さを発揮します。
 その分、間合いに距離のある範囲の戦いでは、相手に長さの利があります。
 切っ先の鋭さや切れ味のよさを感じる相手の取りは、それほど気になりません。攻められて取られても、相手の鋭さに感じ入るのみです。
 しかし、私が苦手とするタイプの選手は、切れ味よりも刀の重さを含めて叩き切る感じの「青龍刀」の使い手とか「斧」の使い手 (ネイティブアメリカンの「トマホーク」のようなイメージでしょうか)といったタイプです。
 間の使い方とか小太刀で受けきれずにはじかれてしまう感覚に対応しきれないのです。
 研究・工夫が必要だと感じています。

 もう一つは、さきほどの比喩表現とも関係しますが、競技かるたの各選手、それも経験を経てきた選手には、その選手なりの競技かるたの世界観を感じるのです。
 もちろん、本人が自分のかるたは、青龍刀的だとかトマホーク的だとかは思っていないでしょうが、私が勝手に相手に感じ、イメージをつくっているということです。
 私が相手に感じるイメージは、いろいろな比喩的世界のものとなります。
 さきほど述べた剣術の武器的なイメージの時もあれば、将棋の「受け」とか「攻め」のイメージ(私のかるたは「受け」のイメージ)や、 「振り飛車」「居飛車」のイメージ(私のかるたは「振り飛車」のイメージ)になる時もあります。
 囲碁の「大模様を重視する」タイプとか「地に辛い」タイプといったイメージ(私のかるたは「地に辛い」イメージ)になることもあります。
 野球のアベレージヒッターとか長打タイプとか、選球眼のよいタイプとか悪球打ち辞さずのタイプとか、投手で三振を狙うタイプとか打たせて取るタイプとか、 競馬でいえば、先行逃げ切りタイプ、まくるタイプとか、ボクシングで言えば、手数を出すタイプとかカウンター狙いのタイプとかいろいろです。
 私のイメージの中に、一人の選手にいろいろな競技のタイプのイメージが混在するというほうがいいかもしれません。

 こうしたイメージを「世界観」という表現でいいのかどうかわかりませんが、このタイプのイメージの背景には、その選手自身のいわゆる競技「哲学」があるのだと思います。 そうした哲学が、その選手の競技の「世界観」を構成しているのだと思うのです。「世界観」というよりも「競技観」のほうが適切かもしれません。
 各選手の「競技観」と「競技観」のぶつかり合い、それを競技かるたの試合から感じることができると、試合をしていて、試合をみていて面白いのです。

 こんなことを書いていて思うのは、他の競技の比喩を使うのではなく、「競技かるた」自体のタイプ・イメージでの言語表現をうまく使うことで表現すべきだろうということです。 「競技かるた」の世界でも「感じ」のはやさとか、「払い」のはやさ・巧拙とか、序盤型・中盤型・終盤型とかいろいろな切り口があるので、 そこをうまく「競技観」に結びつくように表現できるのだと思います。
 しかし、逆説的ですが、深く関わりすぎていすぎで端的に表現することが難しいのです。 私が比喩に使い、勝手にイメージする競技のタイプ、競技スタイルは、私自身がその競技の表面的な知識しかないから端的に表現できるのかもしれません。

 すこしグダグダな話になってしまいましたが、ご容赦ください。
 練習会のあり方、運営のあり方を年末・年始とあれこれ考えていて、まったく自分の中でまとまっていないことが、この手紙に反映されてしまったのかもしれません。 練習会やその運営についても、私自身がコロナで練習を休んでいた2週間で、あらためてのスタートとなっているようですが、徐々に落ち着き始めているのかなと思っています。

 ではまた、練習場でお会いしましょう。
草々


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