シン・後輩への手紙(番外編)
Hitoshi Takano Jan/2024
舌禍
寒中お見舞い申し上げます。
喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきますが、本年も旧年同様よろしくお願い申し上げます。
正月から「舌禍」とは、いささか穏やかではないテーマとお感じになるかもしれません。
言葉に関するテーマは、「私の“かるた”に影響を与えた言葉」でプラス面もマイナス面(言葉の罠)などで書いておりますが、
最近、とみに実力をつけてきているKH君が、初心者・初級者との指導・対戦が増えてきている中で、困らないように紹介しておきたいと思い、筆をとりました。
今の団体戦などでは、あまり聞きませんが、団体戦の掛け声でも「舌禍」と言えそうな経験があります。
ひとつは、相手が私より強いと思われていた対戦で、私が結構相手陣を取って善戦していたのを見ていたチームメイトが、私がお手つきしたのにそれを私の取りと勘違いして
「Tさん、その調子!」と掛け声をかけたということがありました。この試合、私は負けました。
もう一回は、1年半後、「その調子」事件と同じ学校のチームとの対戦の時でした。おそらく、評価としては私がうちのチームの穴と相手に思われていたようです。
接戦の最中「N、お前が勝たなきゃダメなんだからな!」と、相手チーム主将が私の相手に向かって檄を飛ばしたのです。私の相手は、それがプレッシャーになったのでしょうか?
取りの手が縮こまってしまったように感じました。その結果、私が下馬評を覆して勝利を得ました。
まあ、最初の事例は単なる勘違いで、その掛け声のせいで、私がどうこうというのは実際にはなく、のちのちの笑い話のネタにしていますが、あとの事例は、悪い見本です。
掛け声をかけられたほうにとっては、主将の檄は「舌禍」そのものだったでしょう。
本人も自分が私に勝たなければチームの勝利はおぼつかないことは充分に承知していたはずです。でも、意外に私が好調で強い。
なんとかしなければならないと一生懸命に策を考えていたのではないでしょうか?
そこにプレッシャーをかけるような掛け声が飛んでしまった。
かるたはメンタルな競技です。その掛け声が、私にとっては追い風になったわけです。
その掛け声を聞いて、私は「俺をなめるなよ!」などとはその時点では思っていませんでした。あとから考えれば失礼な掛け声といえますが、
まあ、相手からみた私の評価は「そんなもんだろうな」と思って淡々と試合に臨んだという感じです。
この話も、のちのちのネタで脚色することのある逸話です。
この時の相手の主将と同じ学校のメンバーは、こののち私の大学の後輩になります。
このときの主将と同チームで組むことはありませんでしたが、主将の同級生は私と同じチームになった時に「Tさんが勝たないといけないんですからね!」という掛け声を
試合中にかけてきました。別に私はその掛け声がプレッシャーになって手が縮こまることもなく、その掛け声で奮い立つこともなく、目の前の試合に集中して勝利をおさめる
ことができました。おそらく、そこの高校では、普段からそういう掛け声の仕方をしていたのでしょう。
昭和の団体戦の話でありますので、今では基本的にチームメイトを「励ます」掛け声が基本となっているのだと思います。
その対戦相手の学校には、練習にも通わせてもらいました。強豪校の強さがどこにあるのかを学びに行っていたわけです。
そういうわけで、相手チームに私の弱さが筒抜けだったという見方もできます。
練習後の先輩から後輩への指導の言葉は、厳しいものだったと思います。
「そんなかるたは、○級のかるたじゃない」というような言葉を聞くこともありました。
そんな言葉を聞くと「やばい。自分のかるたも絶対にA級のかるたじゃないと思われている」と思って聞いていました。
それでも、A級の入賞戦でその学校の選手に勝って4位に入賞したこともあります。
私は、そこの学校の選手にA級のかるたじゃないと思われても、結果が出せたからまあいいだろうくらいに思うことができました。
厳しい言葉で、反骨心を刺激して頑張らせるという一般論がまかり通っている昭和の風景だったのでしょう。
今では、そういう言葉のかけ方は推奨されないでしょう。むしろ「舌禍」かもしれません。
「やる気がないなら帰れ!」と言われた場合、発達障害のあるケースでは言外の意味がわからず実際にかえってしまうということもあります。
練習の機会を奪う先輩からのハラスメントと言われる可能性もあります。
「自分より下の級には絶対に負けるな」なども、気構えとしては理解するものの現実には「絶対」などはありえません。
この言葉も、聞く人によっては、メンタルを苦しめる言葉になります。
だいたい、「級」や「段」とはなんでしょうか。
それまでの試合などの結果をもとに認定されたものにすぎません。
昇級・昇段して、様々な理由で一時的に弱くなることなどざらにある話です。より強くなるために自分のかるたスタイルを変えるとき、ある人は一時的に弱くなります。
昇級することでの精神的・肉体的疲労で弱くなることもあります。次の昇級へのモチベーションがあがらないとか、いわゆる燃え尽き症候群に陥る人だっています。
そういう後輩や仲間の状況をみつつ、適切な言葉をかけることが大事です。
私のように45年もかるたに携わっていると、年齢的な衰えを感じ、精神的な浮き沈みなどの経験も多々あります。
「A級の力はないでしょう」と言われたら「そうだね」というしかありません。しかし、過去にA級に上がったということは、上がるプロセスがどうあれ、事実ですし、
A級で3回入賞したということも入賞のプロセスがどうあれ、事実です。
1試合通してA級の実力をみせることはできなくても、試合のところどころにA級選手の片鱗をみせるということも大事なことだと思っています。
そして、この経験を通して得た技術や戦術・戦略を後輩たちに伝えたいと思います。
それゆえに、言葉を選びます。
「信頼関係があるから、きつい言葉もわかってくれると思っていた」などというハラスメント疑惑に対してのコメントを聞くこともありますが、
そこでいう「信頼関係」は、ひとりよがりなことも多々あります。
信頼関係があったとしても、自分が思っている以上に、相手に厳しく伝わることがないように、「ハラスメント」や「舌禍」にならない言葉を探しています。
KH君も、これからますます多くの方と競技かるたの場を通じて関わることになると思います。
普段はいかない練習の場にお邪魔して練習するときは、「モメ」はもちろん、対戦決めなどのときには、言葉を選ばなければなりませんね。
その時に、ぜひ「舌禍」とならないよう言葉を慎重に選んでいただきたいと思います。
舌禍とは直接関係ないかもしれませんが、コロナ禍により、かるた会というかかるたの練習のあり方が、コロナ禍前とは少々変わってきたように思います。
コロナ禍前に戻るのではなく、再構成されてきているのだと思います。コロナ禍前の集団のあり方や練習のあり方とは意識が変り、その後に練習に集まったメンバーで
新たな構成と新たなあり方、新たな意識になったと思います。
特に、3年という修業年限で区切られる中学校や高等学校、4年(1部の学部は6年制ですが)という最短修業年限で区切られる大学のサークルなどでは、
その傾向が強いと思います。もともとが毎年メンバーが入れ替わり、コロナ禍のようなことがなくてもその時々の年度で雰囲気のかわることの多い集団であるといえます。
卒業生といえども、自分の現役時代との違いをきちんと認識しないといけないのだと思います。もちろん、団体としての歴史と伝統の中で、
一本の芯がとおっているところはありますが、さきに記したとおり、昭和の言葉遣いが「舌禍」になることもあるのです。
参加している練習母体の過去を知り、今を知って、どこに気を遣い、何を大事にしなければならないのか、
自分なりにしっかりと把握して練習に参加することが求められる時代になっているのです。
そうした心構えができれば、不幸な「舌禍」を避けることができるのではないでしょうか。
お互いに肝に銘じて、今年もまた練習場でお会いしましょう。
追伸 年末いろいろと気を病む出来事が続いたようで、練習等もお休みされていましたが、少し気持ちを切り替えて、
今年は新たな気持ちで「かるた」と「かるた会(かるた界)」に向かい合っていきましょう。
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