インドへの手紙(番外3)
Hitoshi Takano Jan/2023
Please visit to Japan, again.
前略 突然のLINE、正直驚きました。
会社をやめて、インドに帰国すると聞き、さらには、もう退職届を出して、受理されたと聞き、結論をだしてしまったんだとびっくりした次第です。
異国の地で、生活環境の違いで、ストレスがかかり、国が恋しくなったという事情は、よくわかります。
退職せずに、休職して2〜3か月インドに帰って、また、日本に戻ってくるという選択肢がなかったのかなとも思いましたが、会社の方々と同様、結論は尊重します。
もっと長く日本にいると思っていたので、少しコロナ禍が落ち着いたら、また、お会いしてとかいろいろ考えていましたが、第8波が来てしまい、
タイミングがあいませんでした。
職場の人は優しくしてくれて、職場環境はいいと言っていたので安心していたのですが、浜松のインドのコミュニティでは、国への思いを満たす条件が整わなかったのでしょうか。
8月中旬の土曜日に突然、東京に観光にきているので翌日の日曜日の夕刻に東京駅で会ってほしいと言われてびっくりしましたが、その時の浜松に帰る新幹線に乗るまでの数時間は、
楽しそうでしたし、浜松のインドレストランで、インド人向けの味付けで食事するときいて、そういう場所があるなら、お国の言葉も使えるし、よかったと思っていました。
東京の西葛西のインドコミュニティの話もしたかと思いますが、身近にそういう環境が不足していたのかなと、残念に思います。
浜松のかるた会にも、練習に参加させていただき、初段認定大会にも出場したときいて、頑張っているなと思っていました。
(結果は、残念だったとのことですが、課題はいろいろ見つかっていたので、それを改善していく練習に取り組んで、これからだと応援していました。)
日本にいる間に機会を設けて、練習しようと思っていたのですが、帰国までの限られた時間の中で1試合でいいので、対戦したいと願っていました。
12月13日に帰国ということで、3日・4日に東京にくるので、4日の日曜日の17時30分に田町駅で待ち合わせをしたのはよかったのですが、そのあとは随分と予定変更のリクエストで混乱しました。
4日の17時30分といっていたのに3日の慶應義塾大学三田キャンパスでの練習中に連絡をよこして、土曜(当日)の20時に変更にならないかというのには、驚きました。
帰国に際して渡すものも持ってきてないし、それを取りに帰って、20時過ぎから練習して21時30分から食事してでは、さすがに3試合練習あとの私には無理です。
それは無理とリクエストを却下して、当初の予定通りの4日(日)の17時30分に戻したあとも、予定変更がありましたね。
私は、三田のインドレストランの予約を19時30分に入れて、はやめに三田の練習場所のセッティングを終えて、田町駅に迎えに行こうとした矢先、30分遅れるとの連絡が、、、
高尾山からの下山に時間がかかったって、、、(絶句)
その後、新宿で山手線の内回り・外回りがよくわからず、乗り換えに手間取り、結局、田町駅であえたのは18時5分になってしまいましたね。
まあ、今となっては、笑い話ですみますが、私は、レストランに予約時間に遅れる連絡をいれ、試合時間の見当をつけなおして、ちょっと、試合進行を急がないといけないとハラハラしていました。
この日のうちに浜松に帰るというので、新幹線の品川発の最終の時間も調べて、品川駅まで送る算段もしていました。
歩いて、三田キャンパスまで行って、練習を始めるまでもそれなりの時間がかかり、暗記開始は、18時32分。
時間を考え、何枚差で終えられるかも私の課題でしたが、自動読上機「ありあけ」の空札のあとの押しを急ぐことも課題でした。
練習のためには、すこし確認時間を取ってあげたかったのですが、それをすると、確実にレストランの予約時間はオーバーなので、申し訳なかったと思っています。
しかし、二人だけの環境での練習で、手をあげて読みを待たせることに気をつかわずにすんだのでその分を暗記に集中できて良かったと言ってくれて、わたしもホッとしました。
それにしても、「払い」がきれい。感じもはやい。序盤で差を広げて先行逃げ切りで15枚差くらいで勝ちたかったのですが、すぐに、それが無理なことがわかりました。
自陣・敵陣への札の移動が本格化する中盤で、もとあったところで札を払ってしまうお手つきを連発していたので、わたしが有利に試合を進められました。
お手つきを減らせば、札を取る力がしっかりあるので強くなると確信しました。
圧巻は、「アワジ」でした。
決まってないので、絶対「アワ」で取っていて、「アワレ」ならお手つきしていたはずと思っていたのですが、あとで聞いたら、「アワジ」と「アワレ」は、ほぼ「アワ」でどちらか聞き分けられるとのことで、驚きました。
母語であるマラーティー語(ヒンズー語の種類のひとつ)は、日本語とは異なる子音を聞き分けているので、そういう耳の良さがあるのかなと感心した次第です。
わたしの右下段の「あさぼらけあ」、それを取って送ってきた「あさぼらけう」。
「あさじ」がそちらにあったので、斜めの別れ札でしたが、しっかりと攻めて抜いていった取りもすばらしたったです。
きとんと「攻め」ができていると思いました。
結局、10枚差でしたが、取りはそちらが19枚、私が21枚で、ほぼほぼお手つきの回数による枚差と言っていいと思います。
遅れないできてくれれば、もう少し、ゆったりと練習できたのですが、そうできなかったことは心残りです。
浜松かるた会で2〜3年しっかり鍛えてもらえば、A級も夢ではないと思いました。
さて、インドでのデリーでも新しい仕事を頑張ってください。3時間半の時差だそうですね。
裁量労働制で、日本のような時間管理も休暇管理もなく成果さえだせばあとは自由ということですが、自由というのはたいへんな部分もあります。
自分を律しつつ、技術者としてスキルアップしていってください。
そして、一人練習でいいので、かるたの練習も続けてください。
日本で、対人練習の大切さがわかったことと思いますので、友だちにかるたの魅力を伝えて、仲間をふやして練習できるようにしてください。
インドで「かるた会」を設立してください。たいへんなことですが、きっとできると思います。
観光でもいいですし、また日本で仕事をするのでもいいですし、日本の大学院に留学するのでもいいですし、そちらでの生活が軌道に乗ったら、再び、日本にきてください。
浜松かるた会の登録は残して、短期に日本に来るときには、練習と大会出場をセットにできるよう連絡を取れるようにしておくのがいいと思います。
浜松かるた会のみなさんには、本当にお世話になったようで、わたしも感謝でいっぱいです。わたしに近況報告するだけでなく、浜松の方にも報告してくださいね。
今回は7か月強の日本滞在でしたので、日本の観光地もごく一部しか回れなかったのではないでしょうか。
帰国の直前には、京都・滋賀の観光もしたようで、近江神宮の勧学館にも行けたのはよかったと思いますが、積み残しの宿題も日本にたくさん残っているのではないでしょうか?
再来日をお待ちしております。また、新しい連絡先も教えてくださいね。
今回の1試合は、わたしにとっては、順序は違いますが、賀茂真淵と本居宣長の「松坂の一夜」に匹敵する「三田の一夜」でした。
日本の歴史も勉強しているということですから、この「一夜」の練習の重みはわかると思います。わたしも今回の練習を大切にしたいと思っています。
最後になりますが、今後のご活躍とご健勝をお祈りしています。
草々
追伸 食事をしたインドレストラン、お客さんもスタッフの皆さんもみんなインドの方でしたね。日本人は、わたし一人。すごいアウェイ感でした。
きっと、日本にいた期間は、わたしが感じたような感覚を抱いて生活していたのですね。ストレスもかかったことと思います。本当にお疲れさまでした。
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