藤原清輔朝臣

ながらへばまたこの頃やしのばれむ
   うしとみしよぞ今はこひしき


決まり字:ナガラ(三字決まリ)
 作者は、六条歌学の藤原顕輔(「秋風に」の歌の作者)の子として生まれる。父顕輔15歳の時の 子と言われる。年の近い親子には、何か気まずい雰囲気が醸し出されていたようだ。うとまれていた といってもよいかもしれない。最初は隆長と名乗った。
 藤原定家の場合は、父俊成が49歳のときの子である。人生50年と言われた当時からすれば、 晩年の子であり、孫であってもおかしくないくらいの年齢の差である。このあたりは、清輔と 定家の好対照な部分であるだろう。こちらは、御子左歌学であり、そして二条歌学につながっていく。
 歌学・歌道で六条家といえば、顕輔・清輔親子から始まるのを六条藤家と言い、経信俊頼親子に 始まるのを六条源家と言う。
 清輔は、歌学・歌論に秀でており、袋草紙、奥儀抄、和歌初学抄等を著している。

 生き長らえていたなら、(憂鬱な)今日この頃をなつかしく思い出すことでしょうか。憂れいの うちに過ごした昔も今では恋しく思うのだから…

 述懐の歌である。私は、「憂しと見し世ぞ今は恋しき」という下の句の雰囲気が好きだ。

 清輔の歌には、

「世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の煙なりけり」


という歌もある。

 「憂しとみし世ぞ」「見しも聞きしも儚くて」「むなしき空の煙」こうしたフレーズがたまらない。
 当時は平安末期。武家の台頭と戦乱の世、末法の世である。そうした時代背景を感じさせるではない か。

 歌は時代をうつす。
 こうした歌に惹かれるというのも現代もまた、平安末期と共通するところがあるからであろうか。



 ちなみに、私が、高校時代に初めて使ったペンネームが「ながらうし」であった。この歌からとった のである。また、六条隆長というペンネームを使うこともある。これは、藤原清輔の初名による。
 競技かるたの中で特に得意札ではないが、自分から縁づけた札と言えるかもしれない。


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2008年4月15日  HITOSHI TAKANO