源俊頼朝臣

憂かりける人を初瀬のやまおろし
   はげしかれとは祈らぬものを


決まり字:ウカ(二字決まリ)
 源経信の息子である。六条源家の歌学は、この俊頼の「俊頼髄脳」によるところが大きいだろう。 「俊頼髄脳」は、関白忠実の依頼で、忠実の娘のお后教育のために作進したものである。歌論書と して名高い。
 そのような人物とも知らず、私は「うっかりはげたとしより」などとこの歌と作者を覚えたもの だった。

 さて、百人一首には、その分身ともいえる「百人秀歌」というものがある。明月記に記されている 宇都宮蓮生の山荘の襖にはった色紙形は、百人秀歌だったという説もある。また、百人一首では 従二位家隆の「風そよぐ」が、正三位家隆の「風そよぐ」になっていることなどから、百人秀歌は 百人一首の草稿だったという説もある。さらには、百人秀歌は定家の撰で、これを百人一首の形に したのは息子の為家だという説などもある。
 そのあたりの謎は、専門書や謎解き本に譲るとして、百人秀歌と百人一首の違いを説明しておこう。
 ひとつは、すでに述べた藤原家隆の位階の違いである。
 そしてなにより、百人一首の99番・100番の後鳥羽院順徳院が百人秀歌にはない。そのかわり に入っている歌が3首ある。そう、百人秀歌は百首ではなく、101首なのである。

<53番>一条院皇后宮
   よもすがらちぎりしことをわすれずば こひんなみだのいろぞゆかしき

<73番>権中納言国信
   春日野のしたもえわたる草のうへに つれなく見ゆる春のあは雪

<90番>権中納言長方
   きのくにのゆらのみさきにひろふてふ たまさかにだにあひみてしかな

 この3人3首が、後鳥羽と順徳院の歌のかわりに入っている。
 そして、源俊頼の歌は「うかりける」の歌ではないのである。

<76番>源俊頼朝臣
   山ざくらさきそめしよりひさかたの
            くもゐにみゆるたきのしらいと


 そして、掉尾の3首は、99番家隆、100番定家、101番入道前太政大臣である。
 後鳥羽院と順徳院の歌をはずしている秀歌は、承久の乱のあとの鎌倉幕府を刺激しないための方策 だったともいわれている。その代替が上記の3首だった。
 しかし、その3首以上に、「秀歌」と「一首」の共通の歌人で、歌の異なる俊頼の歌にこそ、 「秀歌」と「一首」の撰歌意図の相違のヒントがあるのではないだろうか。

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2008年4月21日  HITOSHI TAKANO