<百人秀歌>


赤染衛門

やすらはで寝なましものをさ夜ふけて
   かたぶくまでの月を見しかな


 百人秀歌と小倉百人一首の違いは、「赤染右衛門」か「赤染衛門」かの違いである。 はっきりいって「正三位家隆」と 「従二位家隆」ほどに影響のある違いではない。
 家隆の場合は、位階の違いは、成立の年代や時期を探る手がかりになるものだけに 大きな影響があるのである。
 しかし、赤染衛門の場合は、そもそもが父親である赤染時用の官職名を由来とする通称で あるので、「右衛門」を「衛門」でも、時代がどうこうという参考にはならない。

 奈良時代には、律令官制の中で、五衛府と言って、衛門府、左右兵衛府、左右衛士府と 言われたものが、平安時代になると六衛府に変化する。六衛府は、左右衛門府、左右近衛府、 左右兵衛府である。
 したがって、「右衛門」も「左衛門」ももともとは同じ「衛門府」から派生したものなの である。
 時代劇などで、よく出てくる名前の「○衛門」「○左衛門」「○右衛門」は、この衛門府 の官職からの名前であるし、「○兵衛」というのは兵衛府の官職からの名前である。また、 「右近」とか「左近」と言う名前も、近衛府から派生した名前なのである。もともとは、 名前というよりも通称といういったほうがニュアンスが正しいと思う。
 律令官制から出ている名前はほかにもある。
 たとえば、「右京」・「左京」は京職という官職からのものであるし、「主税」(ちから)・ 「主計」(かずえ・かぞえ)という名前も主税寮・主計寮という官職からのものである。
 皆さんおなじみの必殺仕事人の中村主水(もんど)の「主水」も律令の官職から来ている。 「もひとり」がなまっていって「もんど」になっていった。また、「主殿」(とのも)は、 「とのもり」から出た名前である。
 また、「大輔」という名前も、もともとは律令における四等官制の「長官」(かみ)・ 「次官」(すけ)・「判官」(じょう)・「主典」(さかん)のうちの「次官」の表記から きているものである。役所によって、同じ時間でも「助」・「介」・「輔」・「佐」などの 文字を使い分けたのである。同じく「雪之丞」というような名前につかわれる「丞」の字も 「判官」(じょう)に由来のある名前である。

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2008年6月4日  HITOSHI TAKANO