<百人秀歌>
正三位家隆
風そよぐ楢の小川の夕暮れは
禊ぞ夏のしるしなりける
「小倉百人一首」と「百人
秀歌」の違いは、以下の点だと言われる。
(1)「百人秀歌」は二首を対にした並びなので、並び順が異なる。
(2)「百人秀歌」には、後鳥羽院・順徳院が
なく、一条天皇皇后宮・権中納言国信・
権中納言長方が加わっている。
(3)(2)との絡みになるが、「小倉百人一首」は百首の構成で、「百人秀歌」は百一首の構成
であり、一首多い。
(4)源俊頼朝臣の歌が、「小倉百人一首」では「憂かりける」の歌で、
「百人秀歌」では「山桜」の歌である。
(5)「百人秀歌」には、「小倉百人一首」よりも古い表現で記されている歌が何首かある。
(6)藤原家隆の位階が、「小倉百人一首」では「従二位」で、
「百人秀歌」では、「正三位」である。
家隆が、「正三位」から「従二位」になったのは、1235年のことであるので、これが、
「百人秀歌」は「小倉百人一首」より前の成立という根拠になっている。しかし、最近では、
また、違う説も唱えられているので、実際のところはわからない。
定家が、小倉百人一首を先に構想し、それを「百人秀歌」という形に
変えて残し、そのあとで、家隆の位階を最新のものに変えて「小倉百人一首」にしたという可能性
もあるわけである。
宇都宮蓮生の山荘の色紙和歌について、明月記の記述が「家隆、雅経に及ぶ」と書かれている
ので、実は百人秀歌ではなかったかとも言われるが、実際、百人秀歌は、「定家、公経」で終わって
いるので、真偽のほどは定かではない。
家隆は宮内卿を辞したあとで、正三位の位を授かっている。位階のみあり、官職がないものを
散位という。律令制度の原則では、官職に応じて、その官につける位階が定まっていた。たとえば、
国守で五位相当とかであり、八位のものが国守になることや二位のものが国守をつとめることなど
はないのである。この制度を「官位相当制」という。現在、人事関係の用語でいうところの「職能資格
制度」に似ているといえよう。
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2008年6月1日 HITOSHI TAKANO