TOPIC   "番外編"

実力のバロメーター

〜対A級戦績を利用する〜

Hitoshi Takano SEP/2014


 実力のバロメーターとして対A級の戦績を用いたことは、今までも自分史上最強論 の中で、20代のデータとして用いたことがある。この時は、勝率を物差しにしている。
 今回、あらためてこのテーマを選んだのは、以下のような25勝区切りの表をつけていて、 224勝から225勝までの間に16連敗したことがきっかけである。過去にも21連敗・18連敗・17連敗というワースト記録があるが、 これはすべて大学生の時代のことであり、自分がA級になる前の記録(17連敗の時は連敗途中でB級優勝した)である。 A級昇級後としては、最悪の記録なのである。連敗もおそらく物差しにはなるであろうが、 この記録の中でもう一つの物差しの存在に思いいたった。
 それは、平均枚差である。
 連敗記録について平均枚差をみてみると、連敗中の枚差は上位3つで、それぞれ18.57、12.67、11.94に対して、 今回は8.625と明らかに変化がある。ワースト連敗の上位3つは、競技かるたを始めたばかりの21連敗にはじまり、 大学1年年明けから大学2年夏にかけての18連敗、大学3年秋の17連敗と成長過程の中での連敗であった。 これが、平均枚差の推移に出ている。そして、どちらかというと現在は(認めたくはないが)実力下り坂とはいえども、 それなりに経験を積んだ時期の連敗の枚差がA級あがりたて時期よりも3枚は少ないというので、 物差しになりうると考えたわけである。

【対A級25勝区分】
達成時期
通算勝数
通算負数
区分負数
勝利平均枚数
敗戦平均枚数
区分勝率
備考
1982may
25勝
140敗
140
4.28枚
12.57枚
.152
 
1984sep
50勝
220敗
80
5.08枚
10.50枚
.238
 
1985jun
75勝
246敗
26
4.72枚
9.35枚
.490
 
1986aug
100勝
320敗
74
5.00枚
8.41枚
.253
 
1987apr
125勝
357敗
37
5.36枚
8.57枚
.403
 
1988apr
150勝
402敗
45
6.32枚
6.80枚
.357
 
1996jun
175勝
462敗
60
4.48枚
8.10枚
.294
 
1999oct
200勝
527敗
65
5.64枚
8.28枚
.278
 
2014aug
225勝
618敗
91
3.88枚
9.00枚
.216
 
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-
-
-
-
-
-
 


 上記の表をみると、25勝ごとの敗戦数の母数が違いすぎるので、枚差という物差しは「?」という意見もあるかもしれないが、 時期と勝率をみれば、自分なりには「なるほど」という数字に見えてくる。 母数を同じにする比較ならば、勝数でいえば、25勝区切りで上表からみればよいだろうし、 負数でいえば、100敗区切りの下表からみればよいだろう。
 これでみると1986年〜1988年くらいが、よい数字をだしているので、それなりに充実していた時期といえるだろう。 先に述べた「自分史上最強論」では、1984年〜1985年くらいを大会での実績と年度勝率という面から評価したが、 いわゆる20代半ばから後半という体力面的にも実感できる充実度といえば、 まさに1984年〜1988年が自分史的にはひとつのピークであったと結論づけてよいだろう。

【対A級100敗区分】
達成時期
通算勝数
通算負数
区分勝数
勝利平均枚数
敗戦平均枚数
区分勝率
備考
1981sep
19勝
100敗
19
4.32枚
12.92枚
.160
 
1983dec
40勝
200敗
21
4.86枚
11.09枚
.174
 
1986may
92勝
300敗
52
4.79枚
9.16枚
.342
 
1988mar
149勝
400敗
57
5.74枚
7.56枚
.363
 
1998may
186勝
500敗
37
5.57枚
8.32枚
.270
 
2012mar
219勝
600敗
33
3.64枚
7.96枚
.357
 
-
-
-
-
-
-
-
 


 25勝区切りにしても、100敗区切りにしても、区分ごとでの逆戻り傾向が気になるところだ。 すなわちピーク時と比較して勝利平均枚差は下がり、敗戦平均枚数は上がるという傾向である。 認めたくはないが、地力の衰えを示す指標といえなくもない。だいたいにして、2000年以降は、 対A級戦自体が減少してきている。原因は、個人戦にでない、団体戦も下の級での出場という試合関係の理由もあるが、 何よりも、練習相手のA級の減少である。私のホームグラウンドである、慶應かるた会の練習において、 A級対戦が減ったことが大きな原因である。一つには、会員数がひところ減少していた時期があり、 また、慶應かるた会からA級にあがる選手が少なかった時期があるということである。 A級が大学に進学してくるのも稀であったし、練習に顔をだすとは限らないという背景もあった。
 下表で、50対戦するにのかかった年月を見れば、今世紀にはいってからは数字の伸びがないことに気付くだろう。

【対A級50戦区分】
通算対戦
達成時期
通算勝数
通算負数
区分勝数
区分負数
区分勝率
備考
50
1980-9-19
5
45
5
45
.100
 
100
1981-5-29
14
86
9
41
.180
 
150
1982-2-15
22
128
8
42
.160
 
200
1983-1-9
33
167
11
39
.220
 
250
1984-3-29
42
208
9
41
.180
 
300
1985-2-11
67
233
25
25
.500
 
350
1985-10-11
80
270
13
37
.260
 
400
1986-6-18
95
305
15
35
.300
 
450
1987-1-14
111
339
16
34
.320
 
500
1987-8-3
133
367
22
28
.440
 
550
1988-3-21
149
401
16
34
.320
 
600
1992-8-27
167
433
18
32
.360
 
650
1996-10-26
178
472
11
39
.220
 
700
1999-4-19
188
512
10
40
.200
 
750
2001-3-18
207
543
19
31
.380
 
800
2009-8-22
216
584
9
41
.180
 
850
2014-7-27
224
626
8
42
.160
 
-
-
-
-
-
-
-
 


 上表では、枚数差は計算していないが、今世紀に入ってからの勝率の低さは明らかである。 しかし、総対戦での勝率は悪くない。2000年12月末時点で「.584」から現在「.597」になっているのだ。 これは、対戦相手の強弱にも関係してくる。B〜D級の選手との対戦のばらつきにも影響されるからだ。 対戦相手の級ごとに分析すれば、正確な分析になるだろうが、あいにく正確な記録がとれないし、 実力B級でも試合に出ていないだけでD級に分類されるケースもある。だからこそ、A級という一定の 基準を満たした選手との対戦成績が、ある程度の客観性をもつと考えるのである。
 もちろん、A級選手であっても、あがりたての選手から、ピークの選手、ピークをすぎた選手と幅がひろい。 タイトル保持やそれに准ずるのS級ランクの選手もいれば、何年もあけて再び取り出した選手もいる。 また、その時々の練習環境によって、同じA級選手とばかり対戦し、星が偏ることもある。それでも。 一定の期間や対戦数で区切れば、それなりにそうした割合も散ると考えることで、この対A級戦の戦績が 自分の力のバロメーターになると考えるのである。
 最後に総対戦300試合ごとに対A級戦が何試合あったかの表を見てみよう。

【総対戦300戦区分】
総対戦300区分
期間
対A対戦
対A勝数
対A負数
A級対戦率
備考(勝率)
〜300
〜1980.9.19
50
5
45
16.7%
 .100
〜600
〜1981.3.25
54
10
44
18.0%
 .185
〜900
〜1982.4.17
57
9
48
19.0%
 .158
〜1200
〜1983.7.27
64
14
50
21.3%
 .219
〜1500
〜1985.8.1
109
38
71
36.3%
 .349
〜1800
〜1986.10.12
101
27
74
33.7%
 .267
〜2100
〜1989.1.4
152
62
90
50.7%
 .408
〜2400
〜1999.2.27
106
21
85
35.3%
 .198
〜2700
〜2006.2.26
71
23
48
23.7%
 .324
〜3000
〜2011.3.26
49
8
41
16.3%
 .163
〜3300
〜2014.6.16
33
7
26
11.0%
 .212


 1983年から1999年までは、3分の1以上が対A級戦であった。特に1986年10月から1989年1月は、 半分以上が対A級戦であり、勝率も4割を超えていた。練習環境に恵まれた時代といえるだろう。
 さて、その後、対A級の対戦比率は減ってくるわけだが、練習環境等の諸事情はあるが、 やはり、A級選手との練習はある程度の割合をこなして大事にしていきたいと思う。
 こうして、数字を見ながら過去を振り返ることで、あらためて今後の指針も見えてくるのである。
 上記の各表を作成することで、自分の実力のバロメーターとしての対A級の戦績を利用しながら、 未来につなげていきたいという思いを強く感じることができた。
 再度、よい数字をあげられるように努力していきたい。 


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