TOPIC "番外編"
未来と戦う
〜モチベーション維持のために〜
Hitoshi Takano AUG/2014
過去にも「削られる肉体」とか、
「競技への覚悟」とか書いたことがあるが、50代も半ばともなると、現役バリバリの若者たちとの対戦は、肉体の衰えというか、いわゆる「老化」を感じざるをえない。
僅差の試合を行なった夜などは、身体の痛みで夜に目がさめてしまうこともある。若い時には、感じたことのないことである。
競技かるたも、ある一定以上の実力をもって競技の世界に身をおいてしまうと、健康のためなどといいながら、実に健康によくない姿勢で実に健康によくない身体行動を行なっていると言わざるをえない。
それでも、若い頃は新陳代謝もよく回復もはやかった。いまでは、回復までに一定の日数がかかってしまう。
こうして肉体は削られていくが、覚悟をもって競技と向かい合っている。それなりに、モチベーションを持っているからである。
さて、では、どういうモチベーションがあるのか?
まずは、「普及への貢献」である。競技者として、実践者として、練習相手としての「普及への貢献」という思いである。そのためには、自分自身が競技としてのかるたを取れる存在でなければならない。
次は、試合(大会)への出場である。職域・学生大会という団体戦、職員名人戦という職場の試合など、出る以上は一定の水準以上のパフォーマンスを出して、結果(戦績)につなげていきたいと思う。これが、肉体に負担をかけることのモチベーションとなっている。
そして、もう一つが今日のテーマである「未来と戦う」ということである。
「未来と戦う」とは、何の未来と戦うのであろうか?
自分の未来なのか、相手の未来なのか、未来のかるたなのか、、、
実はどういう表現が適切なのかは、うまくまとまらないので、説明的になるがご勘弁いただきたい。
私が学生だった頃、今でもかるたを取り続けている私の上のOB・OGはほぼ20代だった。30代以上で当時かるたを恒常的に取っているOB・OGの印象はないに等しい。
今の自分の年齢(50代半ば)のOB・OGが、かるたを取っているイメージなどは全然湧いてこなかった。
練習会では、ゆらのと会に参加させていただくと割りと年配の方が多かったが、それでも私が学生の頃は40代が主流で50代はまれであった。大会で50代の選手とあたったのは、学生時代はおそらく2回しかない。(対戦相手の年齢は、ちゃんと聞いているわけでもなく推定であるので、こういう表現になってしまう。)
この時、A級の試合で対戦させていただいたお二方には、私は一蹴されてしまっている。個人的には、たいへんよい経験をさせていただいたと思っている。
現在では、満50歳以上の選手が出場するシニア選手権というのがあり、私も出場させていただいたが、私よりも年上で活躍されている方々の存在を心強く感じている。
私の学生時代は、シニア選手権というのはなかったが、一般大会に出場する50代の選手は限られていたように思う。おそらく現在のほうが、一般大会に出場する50代の選手の数は多いだろう。選手寿命が長くなったという言い方もできるし、年齢等を言い訳にせずにチャレンジングな競技生活をする方が増えてきたと言えるかもしれない。
主題がぼけてしまった感があるが、ポイントは学生時代に対戦した50代選手の強さである。自分がその年齢までかるた取ることなど当時は想像だにしていなかったが、現実に今自分はその選手の当時の年齢に達しているのである。
学生時代は、若さという武器が競技生活をささえてくれていたので、50代の選手の肉体的衰えなどに思いをめぐらすことはなかった。ただ、その強さと至芸に感心していただけだった。しかし、今ならわかる。私の対戦相手の選手は、今の私と同じように肉体的な衰えをかかえ、その衰えと向き合い、肉体的きつさを克服しながら、競技に取り組んでいたことを。
このことに気づいたことで、今の私も競技に取り組んではいるものの、若き日に対戦した50代の選手の足元にも及ばないということも実感できるのである。
そこで、モチベーションの話に戻る。
今、私と対戦している学生たちが、30数年の時を経て、競技かるたのことを思いおこした時、「あの時に対戦した高野さんの年齢と同じになったけれども、今の自分は、あの時の高野さんほどのかるたが取れるであろうか」と感じさせるようなかるたを取りたい。
この思いが、私のもう一つのモチベーションになっているのである。
「未来と戦う」とはこういうことなのである。「相手の未来」と戦っているということと説明すればできないこともないが、未来の相手に過去をふりかえさせるほどのインパクトを与える為に目の前の対戦相手と今戦っているというほうがわかりやすいようにも思う。
「想像力の欠如していた若き日の自分との戦い」でもあるように思うが、それでは「過去と戦う」ことになってしまう。これでは、前向きではない。やはり、「未来と戦う」ということをモチベーションの一つとして掲げさせていただく。
今の現役学生で50代半ばになっても、競技かるたを取り続けている人間はいったいどれだけいるのだろうか。卒業し、就職すると多くは競技から離れていくものだ。仕事に慣れて、少し取り始めるものの次第に足が遠のいていく。4月に始めたばかりの新人にあてられて、思うように取れずに負けてしまいイヤになってしまうケースもあるだろう。仕事が忙しかったり、地方勤務や海外勤務で練習場所がなくやめていってしまうというケースもよく耳にする。結婚は、かるたを離れる大きなきっかけとなるパターンもよく見かける。結婚後に競技を続けていても、子供ができて子育てをきっかけに取らなくなるということも多いようだ。(子供が取るようになって、復帰するケースというのもあるが…)十数年のブランクを経ても、ふとしたきっかけで復活するケースもある。しかし、ここで復活するかどうかは、本人次第である。あまりに取れない自分を感じてイヤになってしまうこともあるからだ。若い時の自分のイメージのとおりに身体が動かず音に反応できなくなって、頭と身体のギャップが大きいと陥りがちなケースである。それでも、いまある自分の肉体をつかって取ることを覚悟すれば、無事復帰にはつながることになる。
こうして復帰した人と、継続し続けた人は、競技をしている時にふと「そういえば誰それさんが学生時代に自分と対戦していた時の年齢になったんだな〜」と思い出してくれれば、今の自分と比較して「あの時の誰それさんよりは、今の自分のほうが取れている」とか「あの時の誰それさんは、この年齢でよくあれだけ取れていたものだ」と比較してくれることもあるだろう。
そして、競技かるたを全くしなくなってしまった人も、今の私くらいの年齢になり、ふとかるたのことを思い出した時に、「そういえば、学生時代に練習にきて自分と取っていた誰それさんは、今の自分くらいの年齢だったなぁ。今の自分も、あのくらいは取れるかな、取れないかな。」と考えてくれることがあるかもしれない。
現在の学生が、今の私の年齢になるには30年以上の年月がかかる。30年さきの未来に思い出してもらえる競技者でありたいと強く願っている。その「未来」のために、今を精一杯戦っているのである。
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