TOPIC   "番外編"

不要不急の境界線

〜競技かるたの認知度〜

Hitoshi Takano Mar/2021


 コロナ禍において、感染症の感染予防対策の中で「不要不急の外出は避けましょう!」と何度も叫ばれてきた。
 そんな中、様々なイベントが中止になったり、延期になったり、縮小されたり、無観客になったりした。
 しかし、昨年の4月・5月の緊急事態宣言の経験を経て、こうして中止になったり延期になったり、縮小されたり無観客になったりしたイベントも、様々な対応をするようになった。
 それは、ライブ配信であったり、観客を収容定員の半分までとしたり、声援の在り方の工夫だったり、それぞれの業界での工夫があった。
 音楽が好きな人、スポーツ観戦が好きな人、そうした人々には、これらのイベントは自分の生活を豊かにするうえで必要なものであると再認識した期間でもあっただろう。
 当然、その音楽を演奏するミュージシャンや、スポーツを行うアスリートたちにとっては、プロであれば当然生活の糧であり、アマチュアであっても人生に欠かせない表現であったり、 自己実現の方法であるだろう。
 決して「不要」などであるはずはないのだ。
 そして、本番と呼ぶべき試合やコンサートがあり、そのために日頃の鍛錬であったり、練習があり、その在り方も分野や競技によって様々だ。
 大相撲でいえば、本場所のために、日頃の稽古があり、稽古をせずに本場所をつとめるなど考えられないだろう。 とはいえ、日本相撲協会は、出稽古に規制を設けた。出稽古ができない期間は、自分の所属部屋で稽古をしなければならない。 四股、鉄砲など、基礎トレーニングはあるだろうが、やはり、取り組んでこその相撲勘、勝負勘というものがあるだろうから、 自分の所属部屋の力士とだけの稽古では物足りない力士には出稽古は必須だろう。
 力士にとっては、様々な稽古も「不要不急」ではないはずだ。

 相撲のことを取り上げたが、競技かるたの世界も、所属会を部屋に見立てれば、似たような構造の業界である。 自分の所属会だけの練習よりも、他会の練習に出向いて行って練習する出稽古も交えたほうがよい練習になるし、 一人で行う基礎練習だけよりも、対人の実戦練習が必要なことは間違いない。
 音楽・芸能のプロや、プロスポーツ、そしてアマでも人口に膾炙しているようなスポーツは、こうした緊急事態宣言の中でも、練習や稽古も含めて実施・実践することは、 社会的に適切な感染症対策をしていれば、「不要不急」と言われないような土壌ができてきたように思う。
 囲碁や将棋も、プロのタイトル戦は行われている。

 しかし、しかしである。我らが関わる「競技かるた」の世界は、「不要不急」でないと一般社会から認知されているのであろうか。いささか疑問である。
 競技かるたにプロはいない。精神的にプロフェッショナル感覚をもって競技をしている選手も、社会的にみればアマチュアである。
 「名人戦・クイーン戦」は1月に実施された。しかし、そのほかの様々な大会が中止になったり、延期になったりしている。 実施したとしても参加者制限もあり、従来のような運営にはいたっていない。 当然、大会と言われる試合に出るには、日頃の稽古が必要である。 しかし、その稽古さえ、以前のように自由には実施できない。 回数を減らさざるをえなかったり、他会からの出稽古は受け入れなかったり、自会の練習でも人数制限したり、練習会場が使えずに練習さえ組めなかったり、不自由きわまりない。
 もちろん、競技かるた界としての自主規制の部分もあるが、世間の目はどうだろうか?
 「かるた」なんて遊びは「不要不急」に決まってるだろう。
 世間や社会からは、そのような目でしか見られていないのではないだろうか。
 前に本稿で「呼吸としてのかるた」と書いたが、世間や社会一般からは「遊び」としか見られてなくても、 我々競技かるたに真剣に取り組んでいる選手にとっては、決して「不要不急」のものではないのである。 競技者にとっては、練習が呼吸に匹敵するほど大事なのである。
 競輪選手が、「日頃のトレーニングは仕事で、試合は集金である。」と言ったということを聞いたことがあるが、 競技かるたも大会(試合)は大事だが、それにも増して、日頃の練習こそが大事なのである。

 アマチュアの競技であっても、真剣な勝負には観戦者は感動する。高校野球などその最たるものだろう。 もちろん野球に限らない。スポーツ全般そうだろうし、音楽、囲碁や将棋、ダンスや書道、俳句といった文化系のアマチュアのコンペティションは多種多様だ。 競技かるたもこうした文化系の分野ということで分類されるが、あとは「認知度」の問題かもしれない。 競技かるたの認知度があがり、見る人に感動を与える試合ができれば、意義のあることだろう。
 競技の認知度もそうだが、競技の見方というか、観戦をより楽しむ方法の認知も重要なポイントである。 このあたりの競技をしない観戦者への広報活動というか、普及活動も大事なことだと思う。
 そして、見ている人々に感動を与える試合をするには、頂点をより高くするために競技人口の底辺を拡大が必要であるし、試合の質を保証するために日頃の鍛錬・稽古が重要である。
 競技かるたに縁のない人が、本稿を読むことはないかもしれないが、競技かるたの練習は、決して「不要不急」ではないということを本稿から読み取っていただければ幸いである。

 「緊急事態宣言」が解除されたら、昨年10月の練習再開ガイドラインに沿って、練習活動を行う予定である。
 いわゆる世間や社会の目でも、選手にとって必要なものとして、あたたかく見守っていただきたい。


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