新 TOPIC -不定期連載かるた小説-
「さだめ」
〜第1回〜
Hitoshi Takano Jan/2023
** プロローグ **
ガシャン!!
音に驚き、我に返る。
「やばっ、、、」
机の上の筆箱やらノートやらを落としてしまったようだ。
「落としてしまった」と言ったが、この表現は正確ではない。正確に言えば「払ってしまった」のだ。
「すみません。」
とりあえず、教室にいる先生や学生たちにあやまりつつ、落としたものを拾う。
ばつが悪い。
昼食後の午後一番の授業は、猛烈に眠くなる。
そう、授業中に居眠りをして、うすぼんやりと夢見心地になり、実際に夢を見ていて、右腕が動いてしまったのだ。
夢の中で、私は敵陣の左上段の札を払っていた。
ところが、現実世界で私の右手で払ったのは机の上の筆箱とノートだったのだ。
筆箱とノートが机の上から落ちたのは事実であり、その事象に対して「落としてしまった」というのは間違いではないが、私が払うという行為をしたがゆえに「落ちた」のである。
なぜ、夢をみて払うという行為をするのか?
それは、私が競技かるたの選手だからである。日々、練習に明け暮れていると、よく競技かるたの練習や試合の夢をみるようになる。布団の中で、足をビクリと動かして目を覚ましてしまうこともあれば、布団を払いのけてしまうこともある。
足が動くのは、夢の中で敵陣の下段の札を取ろうとするときである。競技かるたは、全身を使って札を取りにいくので、手だけではなく足の動きも生じるのである。
「この時間眠くなるのはわかりますが、授業に集中してください。」
先生に注意されてしまった。教室の中で、笑いが起こる。
先週の授業では、いびきをかいている学生がいて、「居眠りするなら、静かに居眠りしてください。」と言われていた。夢をみて、机の上のものを払うのもいびきも周囲に迷惑をかける点では同じである。むしろ、突然の物音なので、まわりを驚かしてしまう点では、いびきよりもたちが悪いかもしれない。
先生が、たんたんと授業を続けてくれたおかげで、ばつの悪い思いも、注意された直後にはおさまっていた。
「よー、シンヤ、去年までのリモート授業だったら、こんな恥ずかしい思いしなくてもすんだのになぁ。ところで、夢ではなんの札を払ったんだよ、、、」
授業が終わると、かるた会仲間で学部・学年が一緒のサトウが、近寄ってきた。夢をみてかるたの札を払うのは、「かるた選手あるある」というやつなので、状況はお見通しである。
「あしびき。」
「どこにあった?」
「敵陣の左上段。外から2枚目。」
「ふ〜ん。俺の定位置じゃないな、、、」
「たしかに、サトッチの定位置ではないけど、うちの会にあそこにあしを置く人っていたっけ?」
「去年卒業した山口さんとか、本多さんは、そこじゃなかったっけ?」
「たしかに山口先輩は、そうだったけど、本多先輩は左中段の内側だったような、、、」
「そっか。本多さんは中段か。でも、左上段の二字って、けっこう取りやすい場所だよな。とはいうものの注意しないと自陣の右上段の札をひっかけちゃう。」
「意識しすぎると手が浮くし、焦ると自陣をさわっちゃうし、微妙と言えば微妙な場所だね。」
「そういうことを意識させる意味で、自分の取りやすさは度外視して定位置にしてるのかもな、、、」
「そういうもんかなぁ?ぼくは、定位置には自分の取りやすさを求めるけど。」
「何言ってんだよ。百枚も個性的な札があるんだぜ。すべての札を取りやすい場所に置く定位置なんてできるわけないだろ。」
「え〜っ、サトッチって定位置をそんな風に考えてるんだ。初めて知った。」
「みんな、そんなもんなんじゃないの。初めてなんて大袈裟だよ。」
「いやいや、衝撃の事実だよ。定位置は、すべての札を自分の取りやすい位置に配置して決めるものだと思っていた。」
「まあ、俺たちの入部の頃は、新型コロナ感染症防止対策とやらで、遠隔指導とかで、あまり、教われてなかったし、いろんな先輩の意見をきいたり、質問できたりしなかったもんな。」
「たしかに、対面での練習が再開されたときは、もう定位置とかできあがっていたしね。先輩からも何も指摘されなかったし、自分の定位置はこれでいいんだって思ってた、、、」
「ま、いまから変更したっていいんじゃないか。普通の練習にOBたちも戻ってきてくれるんじゃないの。いろいろ聞けば教えてくれるよ。じゃあ、4限が終わったら、また、練習場で会おう!」
そう言うとサトウは、次の授業を受けに教室を出ていった。4時限目の授業は、3時限目の授業とは異なり、サトウとは別の科目を履修している。
入学して競技かるたを一緒に始めて、サトウとは何試合か対戦もしているが、「定位置」に対する考え方について彼の考えを聞いたことなどなかったので、自分と違うということをすごく新鮮に感じた。
そんなことを考えながらも、私自身もボヤボヤはしていられない。次の授業の教室に行かなければならない。
しっかり単位をとって、留年などせずに社会に出ていきたい。
私立大学の学費を出してくれている親にいつまでも迷惑はかけていられないのだ。
** 第1章 定位置 **
2020年3月、国立大学の入試の結果は不合格だったものの、受験した私立大学の中では一番志望順位の高かった大学に合格をしていたので、浪人することなく入学することにした。
しかし、新型コロナウィルス感染症を予防するため、入学式が中止され、緊急事態宣言の発出によって、キャンパスに通うことができず、リモート授業が始まった。
楽しみにしていたサークル活動も、リモートによる活動を余儀なくされた。
アニメや映画で興味をもった競技かるたのサークルに入りたいと思っていたが、コロナ禍で対面の活動ができないこともあって、E-Mailで入会希望は伝えたものの先輩からの返信を結構待つことになり、指定された活動も遠隔会議システムによる雑談みたいなところから始まって、思い描いていたサークル活動とは、ほど遠い形での活動スタートになった。
百人一首は、高校時代の授業で百首暗記していたので、ここのハードルは低かった。
決まり字もアニメや映画の原作の百人一首のマンガから、概念を理解していた。基本ルールもSNSで動画や解説を読むことができたので、競技を開始するのに必要と思われる知識の中でも、基礎的なことは知っていた。
入学後のリモートでのサークル活動の中で、それをあらためて先輩から教わって、自宅で一人でできる練習に落とし込むということからスタートした。
家にある百人一首の札を使って、取札を見ながら決まり字をつぶやくいわゆる「札流し」のタイムトライアルをやったりもした。
ただ、これも自己ベストを出すべく頑張るという姿勢もありだが、一緒に入会した新入生同士で競うというほうがモチベーションがあがる。
そんな競い合う仲間がサトウだった。
LINEでその日の成果を報告しあい、「今日はお前より早かった」「今日は2秒負けた」とかやっていたわけである。
そのときの登録名が「サトッチ」と「シンヤ」だった。
一人での練習においては、札を競技するスペースの「四隅に置いて払う」といういわゆる「払い練」も自宅で行うことができた。
これもSNSの動画が役立った。見よう見まねで練習し、払いはどうにかできたように感じていた。
ところが、払いのフォームがよくなかったようで、対面練習になったときにまずは構えから指導された。
膝の位置が悪いとか腰があがっていないとか、右手の置き方がよくないなど、先輩から注意されまくった。
払いの際の腕の振りや体の重心移動なども、細かくチェックされ、どうにかできていたという認識の「払い」も、まだまだ改善の余地ありということで難しさを感じた。
しかし、対面で注意され、指導されたことで、その後の自宅での一人練習の際の「払い練」のツボのようなものがわかったのは大きな収穫だったと思う。
また、リモートの活動の中で、先輩から指示されていたことの中に「定位置」の作成というのがあった。
先輩から「定位置」の作成指示で聞かされたのは、100枚の札のうち、試合には50枚使い、そのうち25枚を自陣に並べるので、どの札が来たら、自陣のどこに置くかを決めておくと暗記するにも、自陣の札を取るにもいろいろと便利だから、自分なりに考えて表にするようにということだった。
その際、ポイントとして何点か留意点が説明された。
・自分に取りやすく、相手が取りにくいというのが理想である。
・1字決まりは、できるだけ下段にする。
・大山札は、囲いやすい場所にする。
・同音で始まる枚数が多い札は、適宜、左右にわけるとよい。
・左右の札の数のバランスをとる。利き手側は若干多めでもよい。
・上中下の各段の札の数のバランスをとる。下段は若干多めでもよいが、中段を多くしすぎないようにする。
・最初のポイントと似たようなことだが、自分が覚えやすく、相手が覚えにくいということも考えてみよう。
初心者には、わかったようなわからないようなポイントだったが、何人かの先輩たちの定位置表のファイルをメールに添付して送ってもらったので、それを参考にして自分なりに作成して、エクセルの表にしてファイルをメールで送って、添削してもらった。
自分なりに考えたのは、相手にとって取りにくいという観点よりも自分にとって如何に取りやすいかということと、自分にとっての覚えやすさというのは何かということであった。
なにせ、対戦経験がないので、相手が何をどう感じ、どう考えているのかという感覚がまったくわからなかったのだから自分中心に考えるのも仕方がない。
添削してくれた先輩も、大幅な修正もなく横の並び順に若干アドバイスをしただけでOKを出してくれたので、そんなものかと思っていた。
もう一つ、私をしばった言葉が「定位置」という言葉である。
「定」という字が私をしばったのだ。本当は臨機応変であるべきなのだろうが、私は、一度「定」めた札の位置を守り続けていた。
対面で練習ができるようになって、先輩から言われたのは、「これだけ札が減って、下段に札がなくなったのだから、下段に札を動かせばいいんじゃない」とか「左側に札がなくなったんだから、右から少し左に動かしたら」というアドバイスだった。
しかし、このアドバイスに従うとどうしても動かす前の元あった自分の定位置の場所に反応してしまうのだ。
「定位置」という言葉の言霊に呪縛されているような思いだった。
それは、私が、まだ初心者、初級者であったがゆえかもしれない。
そして、また、対面練習になって先輩に言われたのは、「敵陣じゃなく自陣に先に反応してるね。それじゃ、敵陣の札を取れないよ。」ということだった。
「うちの大学のかるたは、攻めるかるただから、まず、敵陣を取ること、敵陣に反応することを考えよう。まず、敵陣。自陣は、そのあと!」と何度指導されたことかわからない。
結局、先輩との対面練習は、敵陣が取れずに差が広がり、札が多く残っている自陣の札を一生懸命守って、なんとか枚数を減らすというパターンに陥っていた。
こうした練習を繰り返していくうちに、ある時、ふと気がついた。
先輩が私の定位置をうるさく言わなかったことが、腑に落ちたのだ。
敵陣を攻めるかるたを取る。敵陣を取って、自陣の札を送る。
そのことを重視するから、自陣の札は、ある程度相手に取られても仕方がない。
その割り切りがあるから、ある意味、自陣の定位置にはそれほどこだわる必要はないということだと理解したのだ。
それなりに気づいて、やっと敵陣を攻めることの意味を理解し、練習を重ねていったものの、三つ子の魂百までではないが、最初に抱いた自分が自陣で取りやすい定位置という感覚は、自分の中に残り続けていた。
今日のさきほどのサトウの定位置に対する割り切り感のような発言を聞いて、サトウとの練習では、いつも攻めるサトウ、守る自分という構図に自然になることが、単に「攻め」への思いの強さ・弱さだけの問題でないように感じたのだ。
「定位置」への過度な思いが、自分のかるたを重くしているように思えた。
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