小学生と練習をする機会がふえ、どういう指導方針が必要なのかと考えることが多くなった。
第14回に「いつの日か、小学生を指導するための方法論をまとめることができればよいとは思うが、なかなか遠い道のりであると感じている」と
書いたが、まあ、その時から1年以上たったので、「遠い道のり」の途上なりに書いてみたいと思う。
基本的には、ひとりひとりの個性にあった指導が一番なのだが、ある程度の方向性というか方針を持つことは必要なのだろうと考え、自分の思考を整理する意味で、本稿にまとめることとする。
【前提】
1.やる気
まずは、本人のやる気は必要で、本人が漫画やアニメ、小説や映画、SNS上の動画視聴などの媒体から、興味をもったり、家族や友だちがやっているからという何らかのきっかけで、「やってみたい」という気持ちをもつことが大前提である。
親に無理やり「やりなさい」と言われて、いやいややるようなケースは検討からは除外する。
もちろん、最初はいやいやでも、自分がやりたくなるなるという気持ちの変化が生じたら、やりたくなったという時点で検討の対象とはなりうる。
2.決まり字を覚える
競技をするうえで、避けてはとおれない前提である。
しかし、現在は、決まり字を付した(印刷されたものから手書きのものなどまでいろいろある)取札による練習ができるので、まずは、そこから感覚を馴染ませるのもよいだろう。
まずは、取札を見て決まり字が言えるように、決まり字付の札などを用いながら、初音でのグループ分けの説明をして、決まり字の概念と決まり字の変化の概念を説明しなければならない。
これが、避けてはとおれない最初の山場となるだろう。
飽きないように、並行しての少ない枚数(決まり字付の取札を使って、初音を限定しての札選びで)の取りの練習は必要だろう。
ただし、決まり字付き取札で慣れてしまうと、それで充分楽しいらしく、札を見て決まり字を言えるようになるという努力を先延ばしにしたり、疎かにしてしまうケースも散見したので、
そこは、決まり字を覚えることへの動機付けをしっかりと設定しないといけないと感じた。
3.ルールとマナーを覚える
決まり字付取札を使っての少ない枚数での実戦形式からスタートするのは、競技の入口として、ルールや決まり字の変化や札を置く場所といった様々な概念を覚えて行く上での良い導入方法だと思う。
とはいうものの、ルールを説明し、決まり字変化の概念を説明し、札を置く場所を決めて、札を取るという作業は、それぞれが決して低くないハードルとなる。
こうしたミニ実戦の中で、ルールの説明をし、マナーを実戦場面に応じてで指導する機会になりうる。
ルールとマナーの説明を受け、覚えてもらうことは競技に取り組み、今後指導を受けてもらう上での前提として重要である。
【基礎固め】
1.札流し
前提として示した決まり字を覚えることの復習として、基礎練習としての「札流し」は一定期間必要であろう。
卒業タイムを設定して、そのタイムを連続で3回成功したら「札流し」練習は卒業ということでよいだろう。
2.払いの練習
動画を見たり、かるた会の練習会場で先輩たちの取りを見ていれば、「払い」についても、見知ることになるので、どういうものかは認識し、理解しているだろう。
ただ、それを実践しようとしても、最初はうまくいかない。やはり、押さえて取りに行くのが自然な流れである。
いわゆる「札ノック」などの払いの練習をしても、少ない枚数での実戦練習をさせると、音を聞いてから押さえて取りに行くケースが非常に多い。
音に反応することと「払って取る」ということが連動していないからである。
音との連動は、次のステップとして、押さえる取り方が身体に染み込んでしまう前に「払い」で取るという手と身体の動きを身体に染み込ませるべく「払い練習」を基本練習として実施すべきであろう。
少ない札での実戦練習の際に、読まれた札を見つけてから取りに行く動作にはいったときに、押さえてしまったら、もう一度、同じ札を払ってとるというやり直しをするという指導も効果的だろう。
一点問題があるのは、小学生の初心者の場合、身長が成長過程にあるということであり、身長が伸びるにしたがって、払いは修正していかなければならないので、
そこは意識すべきである。身長の低い子供の場合、敵陣の下段さらに中段でさえも相当無理して取りに行かなければならないし、自陣であっても、
両サイドの幅が身長からして広すぎる感覚があるだろう。
競技かるたの競技線という畳の1畳の短辺を基準とした長さも、黒岩涙香が明治30年代に定めたもので、当時の成人男性の平均身長も158センチ程度であり、
畳自体も「起きて半畳、寝て一畳」と言われるくらい、日本人の体格との関連性を感じさせるものである。
身長が成長途上でこのサイズに至っていない子供たちの指導で、無理な払いの指導は、身長が伸びた時の取りに好ましくない影響を与える可能性さえある。
この点は充分に留意し、まずは、現在の体格でも無理なく自然に払える距離感で、その範囲内できれいな払いができる指導を重視すべきであろう。
3.定位置を決める
決まり字を頭で覚え、払いの感覚を身体で覚えるというハードルの次には、ミニ実戦ではなく自陣・敵陣各25枚のフル実戦に向けての定位置を決めるというハードルが待っている。
何も指標をもたない状況で、どう定位置を決めてよいかわからないということもあり、定位置サンプルを作成してそこからはじめるという指導方法があることは否定しないが、
私は、先人たちのセオリーに則るよりも、子供が白い紙に自由に色を塗り、絵を描くように、自分の感性で決める方法がよいと考えている。
自分自身のオリジナルから始めて、練習を続けて経験を積むにしたがって、気づきと工夫のなかで変えていけばよいのである。
大人や強い人の定位置が自分と違うことに気づけば、真似しようと思ったり、疑問に思って質問したりする。疑問を持つこと、自分で考えること、自分で工夫をしてみること。
こうした経験で、自分自身、腑に落ちるという過程を大事にしたい。
子供のころの独自の感性が、将来、選手として特別の感性となって、大事な試合に役立つこともあるだろう。
子供のうちにしかできないことを、「○○はXXすべきだ」といって、貴重な芽を摘んでしまってはいけないと思う。
大きく美しい花を咲かせるように、成長する機会を奪ってはいけない。
「べき」論よりも、「こういう考え方もある」といろいろな考え方を紹介し、自分で考える可能性を確保するほうが好ましいだろう。
さて、今、私が対戦している小学生たちは、左右ともに自陣の中段が長い子供たちが多い。
推測に過ぎないが、身長によるリーチと構え、目線(視野)などの影響があるように思う。
身体が成長するにしたがい、リーチもかわり、構えによる目線の高さもかわるときに、本人が取りにくく感じ始めた時に、
定位置自体をみなおすタイミングをうまくアドバイスできるかは、指導者に問われることかもしれない。
その時も、「べき」論ではなく、考え方や様々な方法の提示をして、自身による工夫にゆだねる指導方法がよいと思っている。
【基礎の先にあるもの】
基礎固めができたら、「決まり字付」ではない取札――普通の取札――で、25枚ずつ札を持っての一般的な試合形式の練習に移行していく。
もちろん、少ない数での持札での練習から、段階的に札を増やしていってという過程を経てということでよい。
大石天狗堂の「決まり字五色」の分類を利用して、20枚ベースでもいいし、3分の百首の分類で33(34)枚ベースの練習でもよい。
しかし、ゴールは100枚から50枚を使って25枚ずつ持っての競技スタイルである。
子供同士の試合をみていると、おおむね以下のような特徴がある。
A)自陣は取れるが、敵陣はなかなか取れない。
B)お手つきが多い。
C)前半は抜け札が目立つ。
Cについては、札の数に暗記が追いついていないので、自陣25枚、敵陣25枚を覚えきれていないということで、しっかりと暗記を入れる訓練が必要である。
Bについては、おおむね次の3パターンである。
B−1)自陣の上段と敵陣上段を一緒に触ってしまう。
B−2)送られた札、送った札を覚えきれず、もとあったところを触ってしまう。
B−3)決まり字前に触ってしまったり、決まり字が読まれているのに勘違いでとも札などを触ってしまう。
B−1は、払いの練習で払いの精度あげることで、ミスを減らすことができる。
B−2は、移動した札を特に強く暗記を入れる意識づけを練習の中でおこなうことを訓練することでミスを減らす。
B−3は、基本的には、暗記をしっかり入れる訓練をすることでミスを減らすようにするのだが、人によっては、音に反応する能力が高く、反応のまま手を出してしまい、違う音で逃げ切れずに触ってしまうケースがある。
後者の場合は、長所でもあるので、指導方法が難しい。逃げられるような払いを払い練習などで指導するのも一つであるし、いわゆる「タメ」をつくる、
音を聞いてから取る意識づけをするなどの指導もありうる。しかし、あえていえば、初心者のうちは長所を伸ばす方を重視し、音にはやく反応してのお手つきは放置し、
逃げられるような払いの練習だけでいいように思っている。
Aは、試合展開にも影響を及ぼす。自陣が先に読まれたほうが、先に札を減らすが、自陣が減って敵陣が多いと敵陣を攻められず、相手に守られて、結局終盤は、五分五分くらいに
行きつくことになる。この展開には、お手つきの多寡も影響する。お手つきが少ない方が有利なのは言うまでもない。札の枚数が減れば、思い切って敵陣を攻めることができる選手に
アドバンテージがある。しかし、攻めにいってのお手つきもあれば、一生懸命守ってのお手つきもあり、双方のお手つきが入り乱れる最終盤も出現する。
これは、結局、こうしたリードしてたのに負けたとか、一生懸命守って枚数を減らしたのに負けてしまったとか、自身で悔しい経験を積むことで、
では、どうすればよかったのかを自分で考えることが一番効果的である。もちろん、そういう経験をしたことで、こういう課題が見つかったけれども、どういう対処方法があるかと
周囲の上級者にたずねるというのもありである。たずねられた方は、「○○さんは、どうすればよかったと考えているの?」ときいてあげて、
その答えを受けたうえで意見を言ってあげるのがよいだろう。
最初から、攻めがるたの理論を教えるよりも、実体験から生まれる疑問に答えてあげるほうが効果的だと思う。
先に述べたように身長がまだ充分に伸びていない状況での「攻め」は、体格的な無理もある。だからこそ、今の身長での対策をアドバイスするのがよいだろう。
もちろん、身長が伸びてきたら、その状況に応じて適切なアドバイスをしていかなければならない。
成長の度合いは、体格的なものも精神的なものも知識的なものも、ひとりひとり異なる。
「はじめに」でも書いたが、そのひとりひとりの個々の状況をみて、個人にあった指導が大事で、画一的指導にならないように注意したいものである。
【おわりに】
初心者が学んでいく過程を文章化しただけのような緩い方向性、緩い方針を書いたにすぎないものになってしまったが、言いたいことは次のようにまとめられるのかなと思う。
・競技かるたを「嫌い」にさせない指導をする。できれば、「好き」にさせる指導をする。
・子供たちの考えや発想を尊重し、自分で考える、自分で工夫することができるように指導する。
・短所を修正するよりも、むしろ長所を伸ばす指導を心がける。
・子供が様々な成長の過程にあることを意識して、成長の進行状況を意識しながら、状況に応じた指導をする。
・「子供たち」とか「初心者たち」というひとくくりの考え方をせずに、ひとりひとり個人をみて、個人にあう指導を心がける。
非常に手間がかかる。「このようにしなさい」「これはダメ!」「それはよい!」等々、こうした紋切型の型にはめたようなやり方のほうが指導する側には楽なのかもしれない。
それが合う子供もいるかもしれないが、結局は私にはできない。
時代遅れの昭和のかるた取りの私は、練習場の子供たちの靴の脱ぎ散らかし状態をみると、
こればかりは「靴をきちんと並べられない人に、札をきちんと並べることができるのか?」と口うるさくいいたいのだが、
じっと我慢し、気づけば私が並べなおしている。
靴と札に相関関係はともかくとして、一般的なマナーとして意識してほしいので、会長さんにだけは話をした。
このあいだ、会長さんが自ら並べなおしていた。
誰か、気づいてくれる子供が自発的にやってくれる日を願っている。
そんな日には、きっと子供たちの競技力も成長していることだろう。