新 TOPIC
「渇望」
〜競技の宿命〜
Hitoshi Takano Sep/2025
現在、私の練習環境は慶應教職員練習、慶應現役練習、大田かるた会、品川八潮かるた会等多岐にわたっている。
とはいえ、慶應現役練習は非常にたまにしか参加しないし、慶應教職員練習は慶應のOB/OGなどの参加もあるが以前より実施回数が減少している。
もっぱら、ほぼ毎週1回は顔を出せているのは、大田かるた会と品川八潮かるた会である。
それぞれの練習会には、参加するメンバー層や主催者などにより、練習会の個性というか特徴がある。
小学生の多い練習会、大学生の多い練習会、年配の社会人が多い練習会、参加者層の幅がひろい練習会といった感じである。
また、勝敗が決した後も1枚−1枚になるまで練習を続ける練習会もあれば、勝敗がつけばそこまでの練習会もある。
試合後の感想戦も長めに時間をとる練習会もあれば、会場の使用時間との関係で端的にすます練習会もある。
競技という性格上、「練習」ではあっても、どうしても「勝敗」は決してしまう。
小学生は、やはり「勝てないとつまらない」になって、競技を続けるモチベーションが下がってしまうケースをみかける。
小学生だと、勝つためには練習量は必要なのだが、競技かるたばかりもやっていられないようで、
勉強や学習塾、その他の習い事、学校の部活などで、結構多忙なようだ。
小学生の「勝てないとつまらない」を取り上げたが、それは何も小学生に限ったことではない。
長いこと競技をしている私にも「勝ち」への渇望がある。
表現は表と裏の関係だが、「負けたくない」という思いとも言える。
ただ、「負けたくない」は特に終盤などにおいては、自分自身にプレッシャーという足かせをかけることがある。
「勝つぞ」という思いの方が、前向きな思考だろう。
まあ、私のように長く取っていると、だいたい、実力差というものがつかめてしまう。
ビハインドが見えてしまって、高い確率で勝利は困難だと客観的判断をしてしまうわけだが、
それでも「勝負」には何が起こるかわからない。一縷の望みをいだきつつ、最善の努力をする。
試合進行で差が広がっていくなかでも「勝利への渇望」は尽きることはない。
その渇望が強くなりすぎると「主張」やら「札移動」やら、はたからみると見苦しい戦い方に陥ってしまうことがある。
このTOPICシリーズの中でも「敗戦の作法」を書いており、
自分自身には厳に戒めているところなのだが、まだまだ「勝ちたい」という「欲」は節度を越えさせてしまうのかもしれない。
今までずっと勝ち続けていた相手に初めて負けそうになるとき、特にこの傾向が強く出てしまうようだ。
「勝てないとつまらない」と言っている小学生も、かるたを続けて地力をつけて強くなっていく。
その変化を対戦して感じていると、いずれは負ける日がくるとの予感がよぎる。
でも、その日は一日でも先に延ばしたいのだ。
勝ちたいという思いは強くとも、節度は守りたい。
節度を守るためには、一足飛びに「勝利」という結果を考えるのではなく、
試合のそれぞれの場面で、「次の一枚」をしっかり取るということ以外にはないように感じている。
結局は、一枚・一枚の積み重ねが、結果につながるのだから、、、。
「力」尽きて、敗戦が決まったら、相手の強さを認め、相手によっては相手の成長を喜び、
潔く「ありがとうございました」と頭をさげる。
心穏やかにこれができるようになりたいものだ。
私の負けは、相手の勝ちにほかならない。
結果として、相手の勝利への望みを満足させたという見方もできるのだ。
「勝敗」は競技としての宿命である。
であるからこそ、「勝つことへの渇望」は競技者の中の偽らざる魂の叫びなのだろう。
「一つの勝ち」への思いを大切に競技と向き合っていきたいものだ。
いろいろ書いたが、シンプルに言えば「勝ちたい」ということだ。
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