参議篁

わたのはら八十島かけて漕ぎ出ぬと
   人には告げよ海人の釣り舟


決まり字:ワタノハラヤ(六字決まリ)
 90リンクめ。残すは十首である。
 作者は小野姓。父は小野岑守。野狂の人と呼ばれる。幼い頃から賢さを知られていたが、馬術に 熱中し学業を怠っており嵯峨天皇に惜しまれたといわれる。これを聞き一念発起し、学業にいそしみ 文章生に及第し、仕官する。東宮学士、弾正少弼、美作介などを経て、遣唐副使、参議、左大弁を 勤める。
 その学識は、清原夏野とともに律令の官撰注釈書の「令義解」の編纂に携わるほどであった。
 遣唐副使の時、二度の渡航失敗ののちに遣唐大使の藤原常嗣の船に欠陥が見つかり、副使の 篁の船と交替させられるはめになる。これを不服として抗議をするが入れられず、乗船を拒否し、 西道謡を作り遣唐使を批判した。これが嵯峨帝の逆鱗に触れ、隠岐に流されることになる。 後鳥羽院が流された隠岐である。この隠岐に流される時に詠まれた 歌が、この歌である。当然、定家の撰歌意識の中には刻み込まれている 歌であったろう。

 海原に浮かんでいる島々にむかって今まさに漕ぎ出そうとしている。そのことを都の人に告げて くれ、漁師の釣船よ。

 このことを「告げる人」には解釈が二つある。特定の人を対象に言っているという説、都にいる 不特定多数の人々に対して言っているという説である。
 どちらと決めることはない。どちらとも取れるというのが、この歌の魅力になっているとは 考えられないだろうか。

 小野篁には様々なエピソードがある。その一つは、嵯峨天皇の治世での「無悪善」という落書 の読みである。篁にこれを読ませたところ「さがなくてよからん」(嵯峨がいなければよい)と 読んだため、帝を呪詛するものとの嫌疑をかけられたという話である。この嫌疑を解くために 読ませられたのが「子子子子子子子子子子子子」である。
 篁はこれを見事に読んで、嫌疑をはらしたと言う。

「猫の子の仔猫、獅子の子の仔獅子」


 そして、もう一つのエピソードは、昼間に宮中で仕えていた篁は、夜になると冥府で閻魔大王に 仕えていたというものである。死んだ人間が、蘇生して告げたのが、閻魔王庁の第二冥官であった とか閻魔王の臣であったとかいう説話である。
 そんな篁も従三位51歳で死ぬ。閻魔庁の冥官も蘇生はなかったようだ。

 百人一首の中には、天狗も閻魔庁の 冥官もいるのだ。

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2008年5月2日  HITOSHI TAKANO