愛国百人一首

平田篤胤

青海原潮の八百重の八十國に
   つぎてひろめよ此の正道を


<愛国百人一首における決まり字>
アオウ(3字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ア音12枚の中の1
<歌意・鑑賞>
 「しほのやおへのやそぐにに」は、大祓祝詞に「八しほぢの潮の八百あひ」とあるのと同じような 言葉の使い方であり、「八」には「多く」の意味を持たせている。重ねて用い、さらに八百、八十 と十や百をつけることで、さらに「多く」「たくさん」の意味を強調している。
 大海原のはてしなく多くの潮路にあるたくさんの国々に対して、次から次へとひろめていけ! この日本国の皇道を!
<コメント>
 春満真淵宣長とともに国学四大人と言われる。
 出羽国は秋田の出身で、もともとは大和田正吉という名であった。漢学と医学を学ぶ。号は真菅屋。 気吹廼舎(いぶきのや)とも号す。
 江戸に出て、本居宣長の著作に触れ、門人となるが、宣長がすぐに亡くなったため、「死後の門人」 となる。著作「大扶桑国考」(天保7年)は、幕府より絶版を命ぜられる。その後の著作も幕府に 差し止められ、以後の著作を禁じられるはめになる。天保14年、68歳で秋田にて没。
 千人の門人の中から多くの志士を輩出した。
 激しい儒学批判と尊皇思想が特徴であり、宣長の古道精神を拡大強化したため、宣長門下の正統派 からは嫌われたが、中部・関東以北の在方の有力者には信奉された。
 弟子に佐藤信淵、鈴木重胤らがいる。著書は「古道大意」「古史徴」「天朝無窮暦」など。

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2008年5月21日  HITOSHI TAKANO