愛国百人一首
荷田春満
ふみわけよ日本にはあらぬ唐鳥の
跡をみるのみ人の道かは
<愛国百人一首における決まり字>
フミ(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
フ音3枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
「唐鳥の跡」とは漢字のことを言う。「事物原始」という古い書物に、黄帝の臣の蒼頡という人物
が、鳥の足跡を見て思いついて文字を発明したとしるされているので、このように言う。
これが、理解できれば、冒頭の「ふみ」は「踏み」と「文」の掛詞と気づくのではないだろうか。
ここで言う「文」は書籍と考えればよいだろう。漢籍と日本の書籍を区分して、日本の書籍を
わかるようになりなさいということだろう。古事記、万葉集、古今集、平安文学などが念頭に
あったのであろう。というわけで、「わけ」は「わきまえる」の意と「わける」の意の掛詞でもある。
わきまえて、踏み間違えないように道を歩まねばならない。漢字を見て歩くのみが人の道であろうか。
日本の書籍を学び理解することが大切ではないか。
けっこう、意味が複雑に絡み合い、言葉を補って理解しなければならない歌のように思う。
要は、当時幕府公認の学問が儒学であり、漢籍ばかりを学び、国学を学ぼうとする人の少なさを
嘆いた歌なのである。
<コメント>
伏見稲荷の神官羽倉家に寛文9(1669)年に生まれる。復古神道を唱える。
幼い時から学問を好み、皇道復古の志篤く、国史、律令、古文、古歌等、博く通ぜざるはなかった
が、独学自得したものだと言われる。「万葉集」「古事記」「日本書紀」の研究の基礎を開き、国学
四大人(真淵、宣長、篤胤)の一人とされる。68歳で亡くなる。弟子に賀茂真淵、
甥で養子の荷田在満がいる。在満は田安宗武に仕え「国歌八論」「羽倉考」を著したが、三代目の
冬満は「荷田家の学はすでになった」と言って、新たな研究をしなかったと言われる。
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2008年5月21日 HITOSHI TAKANO