再・後輩への手紙(3)
Hitoshi Takano Mar/2013
昇級・昇段目指して
前略 皆さん、もうじき学生選手権、職域学生大会ですね。
慶應かるた会もメンバーがふえ、団体戦のメンバーになるのも大変な状況ですが、
人数ぎりぎりで出張などの都合で5人そろわない教職員チームからみればうらやましい
かぎりです。
団体戦のメンバーになっていなくとも、合宿から職練という具合に、メンバーと
練習をかさねてきているわけですから、慶應かるた会のチームとして一丸で全員で
団体戦に臨んでいるという気持ちでいてほしいと思います。
もちろん、学生選手権という個人戦も前日にあるわけですから、団体戦メンバーで
はないとしても、団体戦へのエネルギーを個人戦にぶつけることができるのではない
かと思います。
さて、まだ終わってはいませんが、本年度をふりかえって、昇級した人、昇段
した人、そうならなかった人いろいろな人がいることと思います。
出れば優勝相手と1・2回戦であたってしまうなんてケースもあったかもしれませ
ん。入賞戦の壁やベスト4の壁にぶつかってしまった人もいるかもしれません。
でも、それも皆さんの財産になっていることと思います。
きっと、地力として蓄積されているはずです。その力を信じて、新しい年度に
向かってください。
実は、昇段基準の変遷を調べてみました。昭和55年(1980年)、昭和63年(1988年)、
平成10年(1998年)の基準です。(クリック→段位基準の
変遷)
平成55年をみると初段にあがるのも大変ですよね。D級3位なら3回が基準ですから、、、
ちなみに私は、昭和54年4月の開始でしたので、昭和55年11月の基準はすでに
大学2年の後半になっているときでした。
実際は、1年生のときにD級出場は1回こっきりでしかも1没、年明けからでたC級も
よくて2没で大学2年までを終えています。はっきりいっていいとこなしです。
当時地方大会では、B級が通常のBC級相当のようなところもあり、そういうケース
ではB級に出たこともありますが、普通にB級に出始めたのが大学3年からでした。
ですから、実績何もなしで、一応建前は「加盟団体会長推薦者」ということになり
ます。この年の夏の学生選手権でB級3位に入賞できたので、やっと実績的にもB級と
いえるようになったのがこの時です。それから1ヶ月せずに金沢の北國大会でB級
優勝(決勝は後輩から譲ってもらいました)し、A級にあがりました。
当時、B級の出場資格に初段・二段と書いてある大会も多く、この時には初段の免状
をもっていましたので、初段から二段を飛び越して三段になったわけです。(申請時
に二段の分と三段の分といっぺんに申請料を支払いましたが、)
その後昭和63年11月の大改訂にともない、四段を申請しました。そして、今は五段
です。(段位免許状の文言←クリック)
まあ、私の例がいい例だとは決していいませんが、入賞実績なしでも、何かの
きっかけがあればということの事例として紹介した次第です。
なかなか昇級・昇段の実績がつくれずにいる人は、気にすることなく努力を続けて
ください。何かの拍子でブレイクすることがあり、そういう機会がめぐってくるはず
です。
4月には新入生がはいります。ぜひ、たくさんの新入生を勧誘して、新メンバーに
してください。
新入生を鍛えながら、自分が強くなって下さい。人に教えることは、自分を強くする
ひとつのきっかけです。
私もまた、新入生との対戦を楽しみにしているひとりです。5月中旬には新入生との
対戦が始まれば嬉しく思います。それまでに、新入生をしっかり鍛えておいてください。
では、また。
草々
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