まだまだ・後輩への手紙(III)
Hitoshi Takano May/2020
参考資料
前 略 KH君、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止措置のため、緊急事態宣言まで発出され、
練習がストップしていますが、いかがお過ごしでしょうか?
対戦型の練習ができないなら、一人練習(払い練習などの基礎練習を含む)という方法もありますが、
いろいろと自分のかるたについて考えてみるのにもよい機会かと思います。
私のウェブサイトから過去の記事を読んでいるようですが、上段中央並べのみならず、中段の中央並べや下段中央並べなど、
明治37年の競技かるた誕生以降の資料を参考として以下に紹介しますので、自分なりに考えをまとめていただきたいと思います。
明治44年のものは発行された本(著者;團野朗月)の表紙のコピーの写真です。
昭和31年とあるものは、発行された本(著者:夏目延雄)の中の挿絵の写真です。
昭和52年とあるのは、「かるた展望」の記事の写真。それ以外は「競技かるた百年史」に掲載の写真です。
定位置について工夫している最中で、一般論を離れ、他人との相違を感じつつ、
自分にとっての取り易さとは何かを模索しているKH君の考えるヒントになれば幸いです。
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明治44年 |
これは、明治の終わりから大正のはじめにかけて活躍された團野朗月(本名:團野精造)氏の著作の表紙です。
構えも、定位置(並べ方)もご本人のものです。この著作については、来月(2020年6月)の「私的かるた論」の記事で紹介する予定です。
→ Click here.
現代の競技者の目で見ると違和感があるかもしれませんが、当時の並べ方や構えとしては、それほど不思議ではなかったと思われます。
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大正期 |
昭和15年 |
左の写真は大正前半の写真です。目が粗く少し見にくい写真ですが左の都築氏の下段全体を使った並べ方が目を引きます。
対戦者である右の小泉氏の並べ方は、上記の團野氏と同じような感じです。
都築氏のような下段全体を使った並べ方は、現代の競技者の感覚では違和感というより異様に映るかもしれません。
右の写真は、昭和15年のかるた大会の様子だそうです。
左の選手は左右に分かれているベースがあるようですが、下段の中央に2枚、中段の中央に1枚と中央部分を使っています。
上段中央に置くならばまだしも、下段・中段の中央使いは、現代の感覚からすると不思議な感覚です。
右の選手は、下段がはっきり見えませんが、左右に分かれているスタイルのようです。現代でも見かける並べ方といえるでしょう。
この時代にしては、双方、上段の中央に札がないのが、私の目から見ると当時としては珍しいのではないかと思ってしまいます。
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昭和戦後 |
昭和31年 |
左の写真は、時代がいつごろかはっきりわからないのですが、おそらく昭和の戦後のものでしょう。
左の選手の並べ方は、私としては、昭和のかるた取りの選手としては、まったく違和感を感じない並べ方です。
私が、競技かるたを始めたころは、このくらい上段に札を並べる方はいました。
左中段に札がないあたり、私の並べ方でもよく出現します。
右の選手は、全日本かるた協会の会長を務められた伊藤秀吉氏です。
下段、中段、上段ともに、現代では見ない並べ方です。
左右に分ける並べ方の対極を行くような、中央至上主義的な感じがあります。
右の写真は、昭和31年に初版が出て、その後改訂版がでた「百人一首の取り方」という本に出てくる挿絵です。
中段の各札を離して置く感じ、上段に中央部も含めて多くの札を置く感じ、技術紹介の本に出すくらいですから、
当時としては、ポピュラーな並べ方だったと言ってよいでしょう。
この著作(百人一首の取り方)については、再来月(2020年7月)の「私的かるた論」の記事で紹介する予定です。
→クリックしてリンク先へ
左の写真は、左の選手が平田裕一氏で、右の森洋三名人(当時)に挑戦した昭和52年の名人戦の写真です。
この時は平田氏は敗れましたが、のちに真ん中の写真に出てくる種村永世名人から名人位を奪取します。
平田氏の並べ方は現代でも見かける並べ方ですが、森氏の並べ方は、中段の並べ方など戦前・大正と戻ったような印象を受けます。
真ん中の写真は、左が種村貴史名人(当時)で、右が石沢直樹氏です。平成元年4月に行われた名人戦の写真です。
本当は昭和64年1月に開催されるはずでしたが、昭和天皇の崩御にともない4月に延期されました。
私としては、お二人とも対戦経験があり、上段の並べ方など違和感は全くありません。
平成元年ではありますが、昭和の香りのする並べ方だと思います。
しかし、最近の選手は上段中央の並べ方について、やはり違和感を感じるようで、
種村名人の浮き札(上段中央部)の使い方はどういう感じだったかという質問を受けたことが何回かあります。
ちなみに、個人的には「浮き札」という用語は好みません。別に浮かしているわけではなく、地に足を着けて上段に札を置いているという意識だからです。
そして、右の写真は、こうした名人戦の写真の流れの中に載せるのはおこがましいような、手前が私で奥がサウスポーのKH君の令和元年の練習の際の写真です。
上の写真から、ずっ〜と続けて見てくると、それほど違和感を感じないのではないでしょうか?
もちろん、時の一流選手たちと、今の我々の実力を比較すれば、その差は非常に大きなものですが、なんとなく系譜を感じないでしょうか。
伝承者とまで言っていいかどうかはわかりませんが、「あり」か「なし」かでいえば、歴史的に見ても「あり」と言っていいでしょう。
KH君、この定位置に胸をはりましょう。
自分にあっていること、自分自身で腑に落ちていること。
これこそが、大事です。
我々の定位置は、試行錯誤の結果ですし、これからも自身の考えに応じて変化していくものです。
この手紙が、KH君の今後のイノベーションやアイディアに役立つことを願っています。
草 々
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