柿本人麿

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
   ながながし夜をひとりかもねむ


決まり字:アシ(二字決まリ)
 百人一首の冒頭は二人の親子の天皇であり、ラストも二人の親子の天皇である。この意図的な 配置をはずすと、いわゆる歌人としての最初が、柿本人麿である。歌聖としての評価は高く、次の 山部赤人と並び称される。山部赤人は叙景歌人として名高い。この二人の名を取り山柿の門という と歌の道をさすようになる。
 冒頭が天智(親)・持統(子)であり、ラストが後鳥羽(親)・順徳(子)である。そして、 3番目が人麿で4番目が赤人ということは、97番目の歌人が人麿と98番目が赤人に対比する 意味での配置なのである。すると赤人に対応するのが従二位家隆であり、人麿に対するのが 97番の我らの定家なのである。これを意図的といわずして何といおうか。その古代の歌聖に 自分自身を擬していたのである。それは、強い自負心の現れであったことだろう。

 人麿自身には、流罪・水死のイメージがあると紹介しているのは「水底の歌」(梅原猛著) である。百人一首の歌人のキイワードである政治的敗者のイメージをまさに象徴するような 歌人なのである。そして、石見や筑紫などの各地で詠んだ歌も多く、辺境への縁というテーマ にも関連する。そして、赤人にはもうひとつのキイワードである漂泊の歌人のイメージのベースが ある。この二人は、まさに象徴的にこの位置に配置されているのである。

 さて、この歌は、上の句が下の句の冒頭のながながしを導くための序詞にすぎず、歌意は下の句に 集約されている。「長い夜を一人で寝ている」→「独り寝の寂しさ」という歌である。

 人麿は各地へ赴いて歌を残しており、その土地土地を詠んだ歌の良さもある。また、旅をすれば 妻とは離れるわけで、この歌のように妻と離れて生活する思いを歌ったものも多く、ストレート に思いが伝わってくる良さを感じる。
 しかし、この歌人の真骨頂は、皇家礼賛の歌にあると思う。まさに宮廷歌人なのである。 そして、宮廷歌人であったがゆえに、政治的な匂いがし、水底の歌に代表されるような敗者の イメージに結びつくのである。

 人麿の歌で、皇家礼賛の一首といえば、愛国百人一首の第一番に 撰ばれている次の歌だろう。

大君は神にしませば天雲の雷の上にいほりせるかも





 愛国百人一首は、現在製造されてない。戦時中につくられた製品は現在1万3千円強で、 専門店で売られているようだが、私は、自分で作成することにした。この写真が、自家製 の人麿の読札と取札である。



 これ以外にも作成し、読札百枚、取札百枚を揃えた。その一部の写真である。札の文字は 見にくい写真かもしれないが、雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。


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2008年4月8日  HITOSHI TAKANO