<百人秀歌>


崇徳院

瀬を早み岩にせかるる瀧川の
   われてすゑにも逢はむとぞ思ふ


 瀬が早いので岩にせきとめられる急流が両方に分かれても、後で一緒になるように、一時は あなたと別れても、末には必ず逢おうと思っているよ。

 「瀬」は「淵」に対する語で、川の浅瀬。「せかるる」は、せきとめられるの意。 「われて」は、川の水の流れが分かれてということと恋人と別かれることを掛けている。
 陽成院の歌が、川の「淵」を詠み、崇徳院の歌が川の「瀬」 を詠み、対する語を使った歌を撰んでいるところには、自分の意志ではなく譲位させられた経緯 を同じように持つ二人の天皇と、退位後の生き様の違いを「淵」と「瀬」でそれぞれ、対照さ せているように思えてならない。
 戦という手段に出て、46歳で崩御した崇徳院と、小さな波風はあったとしても大きな波風 をたてずに81歳の長寿を全うした陽成院との差が、「瀬」という 「浅さ」と「淵」という「深さ」に象徴されているように思える。
 これが、定家の撰歌意識だったのだろうか?

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2008年6月5日  HITOSHI TAKANO