清原元輔
契りきなかたみに袖をしぼりつつ
すゑの松山浪越さじとは
決まり字:チギリキ(四字決まリ)
清原元輔は、清原深養父の孫で、清少納言の父親である。百人一首の中に3代にわたって
採用されているのは、一族の誉れといえるだろう。
「末(すゑ)の松山」の場所は特定されてはいないが、歌枕としては、この松山を波が
越すということは、まずありえないという寓意を示す歌枕である。
津波によって、そのありえないことが過去にあったのだというように考える方もおり、
歌枕の持つ謎と魅力を語るのには、この歌は、かっこうの題材のようにも思える。
子供のころ、大人にまじって、20首程度しか覚えていない中で百人一首カルタをして
いたころ、下の句が書かれたカルタの取札を並べると、この「ゑ」の字が目立つのである。
ほかにも「ゐ」の字もそうだったが、「ゐ」の字よりは、「ゑ」の字のほうが、目にとび
こみやすかった。「ちぎりき」のほかに「おく」や「ひとも」に「ゑ」が使われており、
これらの札の場所は、自分なりのポイントになっていたように思う。
平仮名を覚えた中で、見慣れぬ仮名に対するこどもなりの好奇心だったのだろう。
そして、この札が、私の中のジンクスの始まりであった。その話は、
75番の藤原基俊の歌のところで紹介しよう。
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2008年3月&2011年4月 HITOSHI TAKANO