"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

“指導”の方法論(1)

〜映像利用〜

Hitoshi Takano Nov/2012


はじめに

 慶應義塾大学SFCの研究発表の機会であるORF(Open Reserch Forum)というイベントが11月22日と23日に六本木の東京ミッドタウンで開催された。
 その中で、スポーツマネジメントの教授が、ロンドン五輪に出場したパラリンピックの選手を招いたセッションが行われた。
 参加していたトップアスリートの一人の言葉が耳に残った。「優秀なコーチというのは多くの選手を相手に競技力の向上を実現するように思われているかもしれないが、はたしてそうだろうか?一競技者としての優秀なコーチとは、他の選手は関係なく自分の記録を伸ばしてくれるオンリーワンの存在でいいのである。」という趣旨のことをいっていた。
 私は、入門者・初心者をはじめとした多くの競技者の競技力向上に資するために「歌留多攷格」を記し、400部ほど印刷した。これはを読んだ方から、役立ったとの声をいただいたこともあり、満足もしていた。
 言語的記述で、それを刊行するという方法は、確かに指導の方法の一つのあり方であろう。今では、WEB-SITEで公開するという方法もある。しかし、それは限界がある。
 まったくの初心者を意識して書き始め、だいたい初段の選手がその上を目指すときに、様々な考え方のヒントになるようなイメージがあり、あくまでも、そこから自分で感じたことを自分で工夫していくためのものであった。
 その後、”TOPIC””私的「かるた」論””後輩への手紙”などを通じて、文字情報を中心に時に多くの人を対象に時に個人を念頭に競技力向上のための試みを続けてきた。しかし、個人への指導のアプローチは、"Face to Face"で、時に手取り・足取り、時に自分でやってみせ、相手にやらせて、指摘をしながらする方法にはかなわないだろう。
 特にB級で足踏みしていて、A級を目指そうとしている中で悩んでいる後輩をみると、その特定の個人を伸ばすためのコーチングの必要性を感じるのである。今も多くの後輩がいるが、その中でも、自分のコーチングが向きそうな後輩もいれば向かなさそうな後輩もいるところが面白い。もちろん、相手が私のコーチングを受け入れてくれるかどうかにもよるのだが…。
 そして、大学のかるた会では、上級生がたくさんいると、下級生は情報過多になる。人によっていうことも異なったりするし、後輩の個性を十分に分析しないで、自分の経験論だけで語るとなると、指導を受ける立場の後輩は、混乱する可能性大である。それを自分で取捨選択して考えろというのも一つのあり方だが、それにも向き・不向きがある。やはり、そこは、しかるべき経験者が、コーチと選手との相性も加味した上で、適切なコーチングをすることが有効な手段のように思う。特にB級で伸び悩んでいる選手には効果的だろう。
 そんなことを考えながら、少し回数をわけて、”指導”の方法論を考えてみたい。

自己客観視:指導における映像利用

 踊りやダンスの練習などは鏡を見ながらの稽古が可能だが、かるたの払い等のフォームチェックは鏡を見ながらという訳にはいかない。体の動きと目の動きはセットになって出札を見ているからである。
 構え、払いのフォーム、手の動きなどを言葉で、いくらこういうところがおかしいと指摘しても、どうしてもなおらないケースがある。それは、セルフイメージと実際の体の動きに乖離があるのである。
 私自身、自分が構えている姿や素振りの様子を写真で見たときに「あれっ?」と思ったことがある。自分のイメージと異なるのである。写真という静止画でさえそうである。のちに社会人になって、はじめてビデオカメラを買って、自分の取りを数枚とってもらったときのセルフイメージとの乖離は、衝撃であった。自己満足の部分もあるが、不満足な部分も多い。がまの油売りの口上ではないが、「おのれのみにくい姿に脂汗がタラリ」というようなものである。
 今年の9月に入学し本格的な練習を開始した総合政策学部のH選手、4月に総合政策学部に入学した高校以前から競技に親しみB級のK選手と私とで、11月からSFCで練習を始めることになり、H選手にセルフイメージとの差を理解してもらうためにビデオカメラで、私との一試合をすべておさめてみてもらうことにした。
 実は、私自身自分の試合を丸々一試合ビデオでみるのは初めてのことである。以前にみた数枚の取りとは大違いである。自分にとっても、再度、フォーム等を見直すいいチャンスであった。
 実は、私自身はセルフイメージと大きくかけ離れてはいなかった。試合の中で感じたミスや欠点は、映像もほぼ予想通りであった。押さえ手の時に手の運びの高さなどは、まったくイメージ通りである。私の場合、イメージと異なったのは、お手つきをしたときの札への感じである。決まり字を聞くか聞かないかのうちに聞き分けられずに手が逃げ切らず札に触れてしまったというセルフイメージだったのだが、音声もはいっているので、決まり字の音がはっきり聞こえているあとでお手つきの札に触っていることがわかるのである。これは、恥ずかしかった。
 私とH君の差は、客観的に見てもわかる。やはり競技数ヶ月の人間と30数年の差は歴然である。「安定」・「熟練」という言葉がふさわしいのではないかと思えたのは、彼我の差を強調してくれるような相手のおかげだろうか?
 私のことはどうでもいいのだ。大事なのは、映像を見たH君の反応である。なんと、私や読みをやっていたK選手が指摘しなくとも、テレビモニターから流れる映像をみながら、自分で自分の欠点を指摘するのである。それは、我々が感じていた点とほとんど一致していた。自分で気づくということは、その後の工夫を考える上で、他からの指摘以上に大きな効果があるものだと考える。
 また、構えなどについて今まで私たちが指摘していた点が、セルフイメージと違っていたようだが、自分なりになぜ指摘されているのか、客観的に理解した様子であった。
 この効果は非常に大きい。H君にとっては、今までの言葉だけの多くの先輩からの指導ということではなく、自分の気づきも含めて、まさに自分にとってオンリーワンのコーチングを受けられたように感じたのではないだろうか。
 ちなみにこの映像を競技かるたを取らない家内に見せたところ、H君の手の出し方の手首の角度が札に対して高くなってから降りている点も指摘していた。これは、当日には私は指摘しなかった点である。さらに素人の家内は、H君の肘の使い方や肩の使い方のまずさを私とのフォーム比較で次々と指摘した。素人でも見るところを見ればわかるほどに、映像による客観視というのは指導ツールとして大きなものであることが実感できたのである。
 SFCでは、ビデオカメラの貸し出しも大学のメディアセンターで行っている。今回は、私が自宅から機材を運んだが、今後は学生自身に用意してもらって競技の客観視による競技力向上に役立ててもらいたいと思った。
 こうした映像による指導が受けられる場所として、SFC練習に三田や日吉の所属選手も伸び悩みからの脱却のヒントを得に集まってくれれば、SFC練習の活性化にもつながり、慶應かるた会の発展にも寄与していくのではないかと思うのである。

 まずは、第1回をこのあたりでしめておこう。

「"指導"の方法論(2)」へ

「"指導"の方法論」のINDEXへ

次の話題へ        前の話題へ


"競技かるた"に関する私的「かるた」論のINDEXへ
感想を書く
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先