TOPIC   "番外編"

"Breakthrough"考(1)  -あざとさ-

Hitoshi Takano Jan/2015

タイトルの意図

 "Breakthrough"とは、片仮名で書けば「ブレイクスルー」、研究社の新英和中辞典の"break throuh"の訳では「(1)(…を)押し通る,切り抜ける,突破する;(…のすき間から)現れる(2)…に打ち勝つ,…を克服する」、Wikipediaによれば、「進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語。」である。
 今までも、"TOPIC"や"私的かるた論"等においても、壁にぶつかってしまっている選手に対して、そこを突破する考え方などを私なりに考えて紹介してきた。
 例をあげれば、「今女畫」や「競技かるたにおける”守破離”」では理念的なことを書いているし、「後輩への手紙」シリーズにおいては、何編かはターゲットとする後輩に対してピンポイントで「ブレイクスルー」のきっかけになることを願っての具体的な提案を書いたりしてきた。
 これらの蓄積を踏まえて、今一度「ブレイクスルー」のきっかけになるようなテーマをいくつか取り上げてみようという思いになり、本稿とあいなったわけである。
 本稿を書くにあたっては、実は「何故、彼(彼女)は力がついてきたように感じるのだが、今一歩、大会成績の結果が出ないのだろう。」とか「何故、勝っておかしくない○○選手に勝てないのだろう」とか、私の期待にこたえてくれない後輩たちひとりひとりを念頭においている。自分自身のことだと思ったら、参考にしてもらいたいとともに私が「ブレイクスルー」を期待しているという思いを感じてもらえたらと願うものである。
 では、今回のテーマに移ろう。

テーマ:「あざとさ」を身につけよう!

 「あざとい」を辞書でひくと次のような記述があらわれる。

<Goo辞書>
  1 やり方があくどい。ずうずうしく抜け目がない。「―・い商法」
  2 小利口である。思慮が浅い。あさはかだ。「考え方が―・い」

<大辞林>
  1 抜け目がなく貪欲である。あくらつだ。 「 − ・い商法」
  2 小りこうだ。思慮が浅い。

<岩波国語辞典>
  1 押しの強い、どぎついやりかただ。
  2 小りこうだ。

 いかがだろうか?どうも、受ける印象が悪い。「小利口」を辞書でひくと岩波国語辞典では「ちょっと気がきいていること。こざかしいこと。」との説明のあとに「よくない評価に使う。」とはっきり記されている。 「2」の意味での「よくない評価」という言葉のイメージは、当然「1」の意味でも同じイメージである。 「あくどい」「ずうずうしい」「貪欲」「あくらつ」「どぎついやりかた」と聞くといったいこの言葉はなんなんだという感じがする。

 だから、私はアドバイスするときに次のように言うようにしている。

 いい意味で、あざとさを身につければ、ブレイクスルーできんじゃないかな」と。

 一般的には「よくない評価」であったり、マイナスイメージの言葉も、勝負の世界においては、良い意味で解釈される場合があるだろう。
 上記の例でいえば、「抜け目がない」ことは勝利を得るためには一つの美徳ではないだろうか。時には「ずうずうしさ」も必要だろう。「押しがつよい」も同様ではないだろうか。「貪欲」だって、札を一枚取ることに貪欲であることは、競技者として当然のように思う。「勝利に貪欲になれ!」だって、選手やチームを鼓舞するときに使われるフレーズではないだろうか。
 しかしながら、やはり「あくらつ」とか「あくどい」であってはいけない。そこで、「いい意味で」という言葉が大事なのである。もちろん「2」の意味で「よくない評価」としての「小利口」である必要はない。
 この良い意味での「あざとさ」を身につけるということの対象となった選手のイメージを紹介すれば、なぜ「あざとさ」なのかという理由の一端がわかっていただけるのではないかと思う。
 まず、かるたの取り口は「攻め」を基本とした正統派である。別れ札を守るなどということは考えられない。相手の右攻め基本で、左もきちんと攻める。左右の攻めのバランスは悪くない。そして、「もめ」については、なにしろもめない。もめたとしても、主張は紳士的。もめは長引かない。ゆずるところはゆずる。こんな感じである。
 これをもう少しイメージ的に表現すると次のようになる。まず、かるたの取り口については、こちらが意表をつかれることがないのである。いわゆる「そこ、守っちゃうのかぁ〜!」などと思うことはない。主張にしても、どちらかというと「論理的だが、押しが弱い」という感じである。基本的にお手つきは少ないほうだが、なぜか肝心なところ(接線の終盤の肝の場面)でのお手つきが散見される。だいたいが、攻めに出てのお手つきである。最終的に勝つにしても、自分で自分を苦しくしている感じがする。
 基礎はしっかりしているし、地力は確かにある。ただし、「ひびき(感じ)」は飛びぬけていいわけではない。学生時代は練習熱心でもあった。B級でいいところにはいくが、突き抜けれずにいた。OBになっても練習はわりとコンスタントに続けている。しかし、卒業後の学生時代の練習の貯金で取っていたころは私に負けることなどなかったが、一時膝にトラブルをかかえて練習量が減ったあとは、私にまで負けるようになってしまった。(決して私が強くなっているわけではない。)基本的に、練習で築き上げてきたかるたスタイルなので、地力維持に最低限必要な練習量を下回ると力が落ちていくのだろう。
 さて、こんな彼に言ったのが、「もう少し、いい意味でのあざとさを身につければ強くなれるんじゃないかなぁ?」である。
 相手に取って取りやすい相手なのであるから、相手に取ってとりにくくならなければ、一歩突き抜けられないと思ったからだ。それならば、相手の意表をつくことも大事である。そして、押しの強さを演じることも武器になる。そういうことをひっくるめての「いい意味でのあざとさ」と言ったのである。
 「相手に嫌がられるかるたを考えてみてはどうですか?」といえば、「あざとさ」のニュアンスの一部を翻訳したといえるかもしれない。
 自分が相手の考えなど関係ない自分の理想とするかるたを取りきって勝つという考え方は、それはそれで立派だと思う。しかし、それで壁にぶつかるのであれば、かるたは相手があって成立するという事実に目を向けて、考え直すのがブレイクスルーにつながるのだ。それを、私は彼に対して「あざとさ」と表現したわけだ。
 競技かるたは、基本的に一対一の個人競技であり、そこで勝敗を争う。囲碁・将棋も含めて、こうした競技では、表現者としての自分を成り立たせてくれるのは、相手の存在である。これを忘れては、自己表現としての競技を際立たせることはできないのではないだろうか。
 それを想起してもらうための、私から彼への彼にふさわしい表現が「あざとさ」という言葉であった。彼のブレイクスルーにつながる言葉であるよう祈っている。

 今回は「あざとさ」ということで、"Breakthrough"考(1)として書き進めた。「(1)」がついているということは、今後(2)とか(3)も書くつもりであるという気持ちのあらわれである。今後も、テーマが見つかれば、書き続けていきたいと思う。引き続き、お付き合い願いたい。


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